ーー再びの春陽ーー
ーーコンコンーー
「失礼します。硝子さん、予備の・・・あれ」
用事を済ませようと訪れた医務室に目的の人物は不在だった。
このまま待とうかとも思ったが、勝手知ったる場所であり在庫管理や確認やらも手伝っていることもありすぐにその考えを捨てた。
(「ま、いっか。勝手に取らせてもらおう」)
スタスタと目的の棚の前へと進み、手持ちを使い切った分を手に取る。
「あった、止血帯。まだ数残ってるし在庫表アップデートしとけば問題ないかな」
独り言を呟きながら、手元の台帳に数を書き加えていく。
と、その台帳を置いたは、しばし考え込むとスススっとさらに隣の薬品棚を静かに開けた。
「・・・ついでにプロカインとエピネフリンをちょっとーー」
『ワフ』
「!」
届いた鳴き声に首を巡らせてみれば、庭に面した窓辺に一匹の洋犬が佇んでいた。
金に近い薄茶の長い毛並み、スッと鼻筋が通った賢そうな面立ち。
確か、ゴールデンレトリーバーと呼ばれる犬種だったか。
まるで何をしている、という咎めるような視線を向けてくるそれ。
少し驚いただったが必要な道具を仕舞い終え窓辺へと足を進めると、その犬の隣へ並ぶように膝を折った。
「え、っと・・・こんにちは。迷子のわんこちゃん」
『・・・』
「んー、でも迷子の割に毛並み良い子だね。硝子さん、誰かから預かってるのかな」
おずおずと手を伸ばせば、まるで気安く触るなとばかりにふいっと顔を背けられる。
その様子はまるで本当に人間のようで、は小さく笑った。
「あらら、プライドが高いね。ま、高いテンションでぐいぐい来られるより私は好きかな」
春先にしては温かい日和で、換気も兼ねて窓の引き戸を開け腰を下ろした。
柔らかな若芽の香りが頬を撫でていく。
窓を開けても近づいても動じない先客の横顔をじーと見つめていたはふと思い浮かんだ人物と重なったことで口を開いた。
「君、私の知ってる人に似てるね」
その言葉に、小さく耳がパシっと動いた。
だからなんだ、どうでもいい、とでも言うような態度に取れるその反応はますますその人を思わせはおかしそうに笑った。
「あはは、つれないところもおんなじだ」
『・・・』
「その人ね初めて会ったときは王子様みたいな見た目でさ、でも初対面は今の君みたいにちょっとツンとした感じで、一緒だった底抜けに明るい先輩がよくフォローしてて・・・
対照的だったけど二人はとっても仲良しで、出来が悪い後輩の私達の面倒をよく見てくれたんだよね」
『・・・』
「せっかくこんな碌でもない業界から離れたのに、わざわざ戻ってきてくれちゃうお人好しで・・・
それも昔よりカッコよくなってだよ?
礼儀正しいし真面目だし強いし優しいし紳士だしで、もー困るくらいとってもカッコいいんだ。きっと普通の会社で働いてた時もモテてたんだろうね」
誰も居ないことも手伝ってつらつらと独り言を語っていれば、何とも言えない気難しい表情が返される。
犬ってそんな表情もできるのかという感心と違和感ないやり取りができている妙な嬉しさと相まっては苦く笑った。
「あの人は・・・自分がどれだけの人から好かれてるか分かってるのかな」
自身よりわずかに低い位置にある顔の横におずおずと手を伸ばす。
しかし、その手は触れる直前で止まった。
しばらくしては膝を抱えながら、窓枠に寄りかかり深く息を吐いた。
「はぁ・・・私は少しでもあの人と同じ場所で戦えてるのかな」
ーーポスッーー
ふわふわした軽い感触が腕を打った。
庭を見ていた視線を隣に戻してみれば、先程よりも近づいた距離。
まるで、当然だろうとばかりな目で語ってくる相手に、驚いただったが嬉しそうに笑った。
「ふふ、君ってば言葉が分かるみたいだね。賢くてますますあの人みたいだよ」
再び手を伸ばしてみれば、今度は拒否される素振り無く背中を撫でさせてくれる。
お許しがでたことで、は滑らかな手触りを堪能しながら背中から首元へと両手を使ってゆっくりと滑らせていく。
「あぁ、でもあの人にはこんなふうに気軽に触れられないな。あの人のファンから呪い貰っちゃいそうだ」
小さく笑いながらそう言えば、さらに距離を詰めた犬はの膝へとアゴを乗せてきた。
頭を撫でることもお許しが出たらしい。
段階を順序よく踏んで事を進める人と重なりすぎるソレに、当人とは違うと思いながらもはその人に向けるように呟いた。
「ホント、罪作りな人だよね」
小春日和の陽気と動物特有の高い体温。
肌触りの良い膝元を撫でながら、ふと似たような記憶が引っかかった。
「そういえば・・・昔、黒と白の猫が、いたっけ・・・」
あの時も確か負傷の手当をした後で、やんちゃな迷い猫が膝の上で喧嘩というかお互いに仲良く身を絡めていた。
微睡みが手伝って思い出されたその光景は、今にして思えばとっても温かく手放し難い時間の気がした。
「あの子達、今どうして、かな・・・」
穏やかな寝息が立った頃、医務室のドアが開いた。
ーーガラッーー
「なんだ、来てたのか・・・?」
見覚えある後ろ背に声をかけた硝子だったが反応が返らなかったことで窓辺へと近づいた。
覗き込めば、窓枠に寄りかかったまま、後輩であるが眠っていた。
そしてその膝の上を陣取り、厳しい目つきで見上げてくる犬に対し、硝子はにやにやしながらスマホのシャッターを連写した後、やっと口を開いた。
「おいおい、五条のクズさを真似て堂々とセクハラか?」
『ヴヴ・・・』
「唸るな、が起きるぞ」
まるでこちらの言葉を理解しているように、硝子の切り返しに唸り声はすぐに引っ込んだ。
膝を折った硝子が今度はよくよく後輩の顔を見れば、寝不足であることが明白なほどの目元のクマ。
いつもなら気配に聡く仮眠だと大概起きるが、こうも起きないところを見るとどうやら気も緩んだのだろう。
どいつのおかげなのかはまぁ当人には言うまい。
手近のベッドにあったリンネを掴み、の肩にかけた硝子はずっと睨みつけてくる犬へと視線を戻した。
「起きるまでそのまま暖房になってろよ。最近、任務が立て続いて気が張ってたようだしな」
『・・・』
「不満そうな顔すんな、アニマルセラピーだよ。どうせそんなナリじゃ任務に行けないだろ、役得なんだから感謝しろ」
『ガウ』
「反抗すんな。お前がそうなってる間、代わりに任務に行くのはこいつだぞ。しっかり癒やしてやれよ七海」
硝子は再び医務室を後にした。
静かになった医務室に響くのは小さな寝息と風に揺れる葉擦れ。
僅かな消毒薬と春香が揺れる窓辺で、の膝の上で見守り番をする犬ーーもとい、呪いで姿が変わってしまった七海建人は、静かに眠る後輩を見上げていた。
ーーあぁ、でもあの人にはこんなふうに気軽に触れられないなーー
(「そういうあなたこそ、気軽に自分のことには踏み込ませなくなったでしょう」)
医務室へ入ってきたときから漂っていた真新しい鉄の匂い。
応急道具の補充をしたということは、きっと負傷をしているのだろう。
他人を気遣いながら、相手を思って下手に踏み込まない配慮は学生時代からさらに磨きがかかったようだ。
本来の姿であったなら、きっと先程のような言葉は決して口にしないだろう。
普段は言葉にしない、しかし心に隠した彼女の本音。
(「不甲斐ない状況だというのに、僅かでもあなたの心内を知れたことを嬉しく思ってしまうのはずるいですかね」)
ぽかぽかとした陽気に照らされながら、頭に添えられた手と互いに触れ合う体温の高さに建人も微睡みに身を委ねるように目を閉じた。
>後日談その1:人間に戻ってからチクられました
家「そういやお前、何をくすねる気だったんだ?」
「人聞き悪いこと言わないでください、止血帯補充に行っただけですよ」
家「ほーん、その割に局部麻酔薬が足りんな」
「それはこの間の負傷で使いまして、備品台帳に書き漏らしてただけです」
家「エピネフリンも取ってんだろ」
「言いがかりです!」
家「嘘つくな、犯行現場見てた奴が居るんだよ」
「ぐっ・・・いつから犬と話せるような術式持ってるんですか」
>後日談その2:分かってしまった人とまだ気付かない人
「あ、七海さん。お疲れ様です」
七「お疲れ様です」
「見てくださいよ、野良なのにこの子達、人懐っこいですよ」
七「そうですね」
「昔、高専の中でも見たんですよね。
負傷の手当してたらどこかから迷い込んだのか、黒と白の二匹。猫なんて消毒薬の匂いとか普通嫌うのに」
七「(黒と白、二匹・・・・・・!!!」)
「まだ子猫だったのか、抱っこしたらふみふみとか指とか吸わーー」
七「
さん!」
「っ!は、はいっ!」
七「いいですか、医務室には通常、負傷者が居るんです!」
「え!?はい、知ってます」
七「今後、医務室に動物が居ても気軽に話しかけてはいけません!」
「ふえ!な、なんで知ってるんですか!?」
七「そいつらの前で手当も駄目です!」
「は・・・え、何故に?」
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2023.07.26