気付けば、薄暗い空間に立っていた。
何故こんなところに居るのか、直前の記憶を手繰ろうとするも何も思い出せなかった。
どうしたものかとしばし思案に暮れた後、とりあえずここがどこか理解すべく歩き出す。
すると進むほど進行方向が徐々に明るく変わっていく。
と、突如、視界が開け辺りは白く霧が立ち込めた場所へと出た。

「・・・」

静かな場所だ、そして恐らくかなり広い。
立ち並ぶ木々、心地よい葉擦れ、近くに川でも流れていることが分かる水音、ひんやりと肌をなでる空気。
川べりのはずが不思議と足元はしっかりとしている。
妙なところがあるものだと止まった歩みを進めれば聞き覚えある声が届いた。

「君までこっちに来るとは思わなかったよ」

その瞬間、自身の状況を全て理解できた。
そして、この場がなんと呼ばれる場所かということも。
更に歩みを進めれば、霧が晴れていき記憶通りのその人がこちらを見上げていた。















































































































ーー届いた岸辺ーー















































































































「久しぶりだね」
「・・・ええ、お久しぶりです」

生前のような苦しいしがらみなく、素直に言葉が滑り出た。
目を瞑り小さく会釈を返せたは、傑の隣に腰を下ろす。
両者の前には霧によって先が見えない大きな水流が静かに流れていた。
しばらく、川を見つめるだけだったがの隣から口火が切られた。

「来るには早過ぎるんじゃないかい?」
「私の事を言えた義理じゃないって、自覚されてます?」
「ははは、そう返されると言葉も無いよ」

にべもない返答に傑は小さく笑い返した。
その後、再び会話は途切れ、水音だけがゆっくり流れていく。

「怒らないのかい?」

出し抜けの問い。
それを受けたの視線は目の前に向けられたまま静かに返した。

「どうして私が夏油さんに怒るんですか?」
「いや、だって最期は騙し討ちみたいな感じになっちゃったしね」
「なるほど、一応後ろめたさは抱いていらっしゃると」
「そりゃあ、まぁね・・・」

バツが悪いことを自覚しているらしく、頬を掻く傑は黙り込んだ。
以前なら、弁明の言葉をいくらでも並べていたであろう。
だが、それがない素直な反応を視界の端に認めたは小さく嘆息した。

「理由がありませんよ」

糾弾する言葉は持っていたはずだが、それらは全て伝えたいはずの飾りの気がして自身の中で一番本音に近い回答を口にした。

「私はあなたの親友でも、特別な仲でもないまま死別したんです。
あの時のあなたの行動に私が何を言えると言うんですか」
「・・・」
「夏油さんが後悔してないなら、それでいいです」
「君は私を甘やかすばかりだね」
「私を散々甘やかしていた人がそれを言いますか?」
「ははは、そうか。うん、そうかもしれないね」
「・・・私からも一つ、聞いていいですか?」
「ああ」

了承を得られたことで、は隣に視線を向ける。
初めて視線が交錯する。
こうしてきちんと向き合ったのはいつ以来だろう。
昔はあった雑多な痛みある感情はなく、ただ、ずっと気がかりだったことを訊ねた。

「あなたを好きだと言った事、迷惑でしたか?」

一息に告げたれた問いに、相手は意外にも目を瞠る。
その反応の意味するところは同意と受け取った黎は、予想していた事もあってか素直に頭を下げた。

「あ、やっぱりですか。すみません」

でも生前なんで時効って事で、と素早く話しを打ち切ろうとするに傑は慌てて続けた。

「違っ!ま、まさかそんな事を聞かれるとは思わなくて!」
「うわ・・・夏油さんが動揺してるの初めて見ました」
「・・・からかったのかい?趣味が悪いよ」
「まさか、質問は大真面目ですよ」

淡白に切り返しは小首を傾げて応じる。
対して傑は固まった。

「・・・え?」
「いやほら・・・死にかけていたとはいえですよ、高専を離れた夏油さんに軽率に想いを伝えてしまったのは不徳の致すところだったよなぁと、常々思っていました。
とはいえ、あの時は本気で死ぬからまぁ良いかと思っていたのも本当ですけど」

抱えた膝の上で頬杖をつたは、川を横目にその時を思い出す。
あの時は、もう二度と会うことはないと思ったから、立場や建前などどうでも良くなって伝えてしまった。
今思えば、あれがきっと最初で最後の想いをきちんと言葉にした時だった。
答えが返されることを期待はしていなかった、ただ、最期だから告げておきたかった。
しかし結局は生き延びて、というか想いを告げたその人の手によって助けられ、告げてしまった想いをどう取り扱うべきか自分の中でも判断できず、結局、その人の方が先に逝ってしまいどうすれば良いのか途方に暮れてしまった。
だから、今その答え合わせがしたかったのかもしれない。

「・・・迷惑じゃないよ」

しばらくして、ポツリと小さく返答が返された。
それまで手で顔を隠してた傑は、今度は口元に下ろして悩ましげながらも続けた。

「高専の時から、目で追っていたのをどうにか取り繕ってたんだ」
「え・・・そうだったんですか?」
「硝子には見抜かれていたからいつ君にバレるかとヒヤヒヤとあわよくばの期待と半々だったから」
「それは、その・・・すみません。どうもそっちにはとっても疎いらしくて」
「あぁ、それは聞いてたよ。
だからこそ、私は言わずに高専を去った。いや、去ることができたからね」
「・・・想いを告げたら高専に留まっていましたか?」

僅かな期待が残っていたのだろうか。
自身がずっと追いかけていた、かつての関係を取り戻せることができたかもしれないそれを問えば、傑は苦笑を返した。

「違うんじゃないかい?」
「何がです?」
「『高専に』ではなく、『悟の隣に』って聞きたいんだろ?」
「それは・・・」

本心を見透かされた確認には改めて思案に沈む。
だが、やはりその指摘はきっと正しいこという解しか出てこなかった。

「いえ、そうかもしれません」
「答えはNOだよ」
「そう、ですか」
「あぁ。けど・・・」

続く言葉を待っていれば、視界に届いた傑の手に思わず隣を見れば、大きな手が頬に添えられた。

「もし、聞かされていたらきっと君の意志に関係なく攫っていたことは間違いないかな」
「・・・すみません」
「ここはお礼を言って欲しいところだったな」
「言えるわけないですよ」

添えられた手に重ねる自身の手は小さい。

「あの時の私はどうしようもない半端者だったんですから」

目に見えて非力で頼りないそれに、声が震えた。

「本当は支えになりたかった。
なれない自分に、力不足に・・・ホント腹が立って悔しくて現実に打ちひしがれるしかできなくて。
五条さんに呪術師としての道を諦めろとまで言われました」
「でも、君は呪術師としての道を選んだ。
辿り着くのは仲間の屍の山かもしれない、地獄の道を選んだ。十分だよ」
「そんな高尚なこと考えて選んでません」

小さく頭を振ったは、視線を落とし悔しげに呟いた。

「私は否定したかった」
「否定?」
「あなたが選んだ選択も間違いじゃなかったって」
「それは・・・」
「勿論、それだけって訳でもありません。
私と同じような境遇の人を減らしたい自己満足も含まれていますから」

力なく笑ったは再び視線を上げ続けた。
そう、きっと目の前の男のように、自分は自身以外の人のために行動ができる人間ではない。
浅ましく己の考えを押し通したいがために、エゴだけで生きてきた。
だからこそこの場に至るのは当然で、同じ場所に居るとは思わなかった人との再会は喜んではいけないはずなのに、やはり嬉しさが募ってしまう。

「だからここに来れたことが、夏油さんに会えたことが嬉しいです」
「地獄に来れて嬉しいと思うのはどうかと思うよ」
「私は私の選択の結果に満足してるってことですよ」
「・・・そこは素直に、あなたに会えたから幸せいっぱいです、って可愛く言って欲しいかな」
「そんな甘ったるい返し、本気なら言い直しますが?」

かつても同じようなやり取りをしていた。
敵対する前、共に青春時代を過ごしていた昔日。
気兼ねない面子でこのように屈託のない冗談を言い合って、笑い合って。
いつまでも続くと思っていた、幸せな時間が戻ってきたような錯覚に互いに相好を崩して軽く笑いあった。

「ま、嬉しいって気持ちは素直に受け取っておくよ」
「はい、受け取ってください」

目尻に浮かんだ涙は優しく拭われる。
それはどのような感情で溢れたかは分からないが、まるで未練が吹っ切れたように心が軽くなった。
それ故か、次に何をすべきかを理解しているようなは腰を上げた。

「行くのかい?」
「ええ」
「そうか」
「夏油さんは待つんですよね」

主語となる主の名を言わず、だが互いに思い浮かべている人を暗に指せば傑は頷いた。

「あぁ。聞かされる文句をちゃんと聞かないと、罰やら苦行やら受ける事もままならないだろうからね」
「あー、簡単に想像できます。
なんならそういうのを執行する相手を張り倒しそうですね」
「そうだね・・・けど、それはそれできっと楽しそうだ」

想像し楽しげに陰なく笑う傑の姿に、それを見たもその光景が思い描け小さく笑う。
もう思い残すことも何もない。
は再び会釈を返すと踵を返した。

「ではーー」
ーーパシッーー

しかし、それに続く言葉と行動を阻むように大きな手がの手首を掴んだ。

「夏油さん?」
「・・・もう少し」
「?」

小さすぎる声が拾えず、が目を瞬かせれば咳払いした傑が声を張った。

「もう少し、話さないか?
川はいつでも渡れるんだ、急ぐ必要はないだろ?」

かつてはなかった、自分本位の願い。
それはずっと聞きたかった言葉でもあり、嬉しさに再びこみ上げる涙とともには頷いた。

「そうですね、今なら時間はたくさんありますから」



























































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2023.10.15