ーーもう一つの選択ーー
夜も更け、そろそろ休むべきかと窓辺の柱に寄りかかっていた時、静かに近づく足音を拾った。
こんな非常識な時間にわざわざ足を運ぶ物好きは限られる。
迷惑千万だという表情に変わったタイミングで許しもなく襖が明けられた。
「やぁ」
「・・・何の用ですか?」
予想通りの人物の登場に、
は嫌悪感むき出しで唸れば軽薄な笑みを浮かべた傑は肩をすくめた。
。
「日中、授業を引き受けてくれたお礼がてらにね」
「礼と言っておきながらわざわざ非常識極まりない無礼な時間に来たわけですか。そもそも引き受けてませんし無理やりそっちが押し付けてきたんでしょうが」
「それでもやってくれたんだろ?」
「・・・」
この流れにもいい加減うんざりしてきた。
これから始まるだろうやり取りが予想できたことで、面倒になった
は会話を打ち切るように視線を切ると、追い払うように手を払った。
「はぁ、まぁそうですね。どーいたしまして。じゃ、礼も受け取りましたからさっさっとお引き取りください」
「随分と邪険にするね」
「私が監禁主に媚びへつらうとでも思ってたんですか?」
これ以上頭を使いたくなく反論さえも跳ね付けるように言い捨てれば、傑が部屋の中へと進んだ。
その気配に気付いた瞬間、
は逸していた視線を戻し警戒を強めるように腰を浮かせた。
「用もないのに近付かないでもらえます?」
「用はあるよ」
「なら口で言ってください」
「君がそうやって攻撃的な姿を見るのは二度目だね」
その言葉に柳眉がぴくりと動くと、
は呆れた調子を強めた。
「病み上がりでろくに数も数えられないとは、毒の後遺症は随分と酷いみたいですね。あなたと顔を合わせてからずっとのはずですが?」
「私が言っているのは学生時代の話しだよ」
「・・・」
「そしてこう言う時は決まって・・・」
「来るなとーー」
ーーパシッーー
距離を取ろうと後退ったが、一歩遅かった。
よりさらに早く傑は距離を詰め逃げようとした手首を掴んだ。
「体調不良を隠してる時だった」
「っ・・・」
見破られたことで
は苦々しそうに顔を歪める。
片手に収まってしまう細くなった手首は、熱湯でもかけたのかと錯覚するほど熱い。
状況を知った傑は
に負けず劣らずの表情を浮かべる。
「随分と熱が高いね」
「はっ、寝惚けないでください。生き物は死なない限り熱はありますよ」
「傷が開いた所為じゃないか?」
「あなたには関係ありません」
なおも強硬な姿勢を崩さない
は力尽くで振り解こうとするも、しっかり掴まれてしまっては振りほどけ無い。
「ちょっと!離しーー」
「
」
名を呼ばれ
の荒げた声が消えた。
傑は抵抗が弱まったことでさらに畳み掛けた。
「私の所為だということは分かってる。だから無理しないで休んでくれ」
「どの口が言ーーっ」
だがついに虚勢が崩れるようによろけた
を傑は抱き抱えた。
しかしそれでもなお、
は距離を取ろうと力の入らない腕で傑を押し返そうとする。
「触ら、いで・・・」
「それは無理かな」
立ち上がれない
に自身の茶羽織をかけ、横抱きにすると傑は離れを後にした。
真夜中の静かな廊下にかすかな足音が静寂に消えていく。
まるで切り取られた静謐の中、揺らさぬようにしながらもなるべく足を速める傑はぐったりとしたままの
に語る。
「いつからその症状が出てたんだい?」
「・・・」
「私以外にそんな無防備な姿を見せなかったのは褒められるけど、無理は良くないよ」
「・・・関係、ないです」
「あるよ」
「・・・」
「必要なものを揃えるから言ってくれ」
自室のベッドへ
を下ろした傑は淡々と告げる。
だが高熱に浮かされながらも、頑なに態度を崩さない
は元の部屋に戻ろうと身を起こすもその度にベッドへと押し戻された。
「んの、つもりですか・・・」
「命の恩人に報いたってバチは当たらないだろ?」
ただ静かに、真摯な言葉が向けられる。
まるでそこには両者を絡める立場や過去など無い、かつての学生だった頃を彷彿とさせる錯覚さえ起こしてしまう。
だがどうにか理性で押し留められた
の口からは、相変わらずの憎まれ口しか出なかった。
「はっ・・・殺し合う相手に、馬鹿みたいです」
「そうだね」
絞り出された震える声。
返す言葉を持てない傑はただ目尻を流れた一雫を指で拭うしかできなかった。
「えっと・・・アセリオの点滴薬で一番濃度高いやつ、それとPPNって名前のやつに点滴器材一式。
言われたもの持ってきたけど、そんな高熱なのに一人でできるのかい?」
「要らぬ、世話・・・」
その後、
から指示された道具各種を医務室から持ってきた傑は再び自室へと戻った。
サイドテーブルに乗せられた点滴具をたどたどしい指示の下、着々と準備が整っていく。
そして長いゴムチューブを手にし
は自身の左上腕に巻き、手慣れた手つきで細い針が肌を抜き浮き出た血管へと吸い込まれる。
その後、薬液が問題なく流れていくのを確認するとサージカルテープを巻き固定を終えた
は速度を変えるクレンメの調整を終わらせ深く息を吐いた。
「はぁ・・・」
「いやいや、手慣れ過ぎでしょ」
ベッドに横になった
の隣で処置を見守ってた傑は思わず苦言を呈した。
「君、硝子の手当を受けずに自分でこうやってたんじゃないのか?」
「・・・だから何ですか」
「無茶が過ぎるって話しだよ」
小言が続く傑に相手するのも面倒くさい、という顔で
はふいっと顔を背けた。
「こんなの慣れれば、凡人でもできますよ」
その後、点滴薬が静かに落ちる等間隔の音だけが部屋に満ちる。
は離れに戻る算段をうつらうつらと考えていた。その時、
「すまなかった」
ぽつり、と響いた謝罪に
は視線を戻した。
ベッド横の椅子に座って完全に消沈している傑はうなだれたまま続ける。
「ここまで体調が悪かったなら休んでもらうべきだったよ」
「・・・」
「あとで食事をーー」
「要りません」
「意地を張ってる場合じゃ無いだろ」
の返答に怒っているような傑の様子に、勘違いしていることが分かった
は嘆息した。
「そういうのじゃ、無いですって。何のためにコレを持ってきてもらったと思うんですか」
視線で頭上に下げられた点滴薬を指されたが傑の語調は変わらない。
「これは食事とは関係無いだろ」
「末梢静脈栄養」
「は?」
「簡単に言えば栄養剤です。わざわざ食事を摂らなくても事足りるってことですよ」
そこまで説明を聞いた傑は、いつもの調子を戻した様子に見えたからかホッとしたように力を抜いた。
再び目を閉じた
にやっと傑は持ってきた点滴薬や道具に視線を移す。
医務室に揃っていた、見覚えの無かった薬品やあちらこちらの棚に貼られていたラベル。
今思えば、聞いた場所に言われた通りのものがあったことを疑問に思うべきだった。
が立ち入った場所は、軟禁されていたはずの離れの部屋と治療のために籠もっていた部屋だけだったはずなのだから。
「今更だけどこんなもの、いつの間にこ揃えたんだい。今まで無かったはずだけど・・・」
「そうでしょうね。あなたが倒れたことがきっかけになって最低限揃えておくべき薬品を刷新しましたから」
「え・・・」
「薬品の一覧化に残量管理に在庫管理、果ては使用期限の確認まで終えています。お粗末なこれまでと比べられてはたまりませんよ」
あの治療の傍らにそこまでやっていたということに傑は素直に驚いた。
負傷した際は重症なら信者の伝の病院に向かうか、軽症なら拠点としている医務室にあるものでの手当のみで済ませてきた。
無論、
の指摘通りかつての同期と並ぶ医療者は居ないこともあり、管理がおざなりだったことは認めざるを得ないが。
「硝子がよくやってたあれって結構重要だったんだね」
「・・・今頃勉強になったとは何よりですね」
刺々しい物言いが復活している。
だいぶ調子を戻したらしい様子が分かり、傑は点滴の即効性を実感した。
「やれやれ、悪態がつけるようになってきたならもう心配無いかな」
「心にもないことを」
「嘘じゃないよ」
椅子からベッド端に座った傑に
はとっさに起き上がった。
しかし、再び肩を押されベッドに戻された
を傑は真っ直ぐに見据える。
「言っただろ。君には嘘はつかない」
「・・・」
ゆるく結んで解けた
の髪を掬い、傑はただ優しく撫でる。
それを目の当たりにしたは一層苦しげな表情を浮かべると逃げるように視線を外した。
「私が信じる謂われは、ありませんよ」
「そうかもしれないね。点滴が終わるまで眠るといい」
「あなたが消えたらそうします」
の言葉を受けた傑はベッドから降り、代わりに背にして座り込んだ。
いつの間にかその手には本を持ち、どう見ても居座りの体勢。
そしてまるで学生時代と同じ位置取りになっていることで
の声は尖った。
「ちょっと」
「私もまだ病み上がりでね。しばらくここで休ませてもらうよ」
「他の部屋に行けばいいでしょ」
「主治医のそばに居た方が万が一があっても対応できるだろう」
「主治医じゃ無い上に、その助言を無碍にした口が今更何を言うんですか。とっととお引取りください」
「まぁまぁ、実は君が学生時代に読んでいた本の新刊を買ってきたんだ」
ぴくり、と目に見えた
の葛藤の反応に流れるような文句がぴたりと止む。
傑はもたげた悪戯心をおくびにも出さぬように努めながら、しかし企み顔は隠せぬ笑みを浮かべて続けた。
「点滴が終わったら渡すからそれまではいいだろ」
「・・・その新刊より前読んでなかったら意味ないでしょう」
誘惑に屈したくないことが分かる苦し紛れの
の言葉に、傑は用意していたトドメのセリフを告げた。
「大丈夫。シリーズ全巻揃えているからね」
「・・・・・・」
その沈黙で軍配がどちらに上がったかは一目瞭然だった。
「はぁ・・・・・・分かりましたよ」
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2026.03.28