「ふぅ・・・」
重々しいため息が寂れた廃墟に響いた。
体調は最悪だった。
ベルトで締め付けられるような頭痛が治まらない上、発熱によるふわふわとした目眩で自力で立っていられない。
座ったら立てなくなりそうで、壁に背を預ける。
接している部分が廃墟のひんやりとした温度を伝え、僅かばかりの心地よさを伝えてくる。
(「とりあえず、終わった・・・頭痛っ、ちょっとだけ休んーー!」)
帳が上がった直後に現れた自分以外の気配。
警戒心が跳ね上がると同時に身体の重さも増した。
だが過去、同じ状況で呪詛師の襲撃を受けた経験から迷うことなく気配の主へ呪具の引き金を弾いた。
ーーパンッ!ーー
「うわっ!」
「!!!」
耳に届いたこの場では聞くはずのない声。
ようやく視界がはっきりと像を結べば、入り口近くにへたりこむ同期の姿があった。
呪霊?
いや、全て祓ったはず、あり得ない。
なら、誰かの術式か?でも呪力の気配はない。
残る可能性は・・・本人。
瞬く間の思考が巡らされた数秒の後、自身が今しがた行った行為にの心臓が止まった。
「なん、で・・・!」
いや、今はそんなことよりすぐに手当をしなければ。
は感覚が遠い足を動かし潔高の元へと走る。
しかし、
ーーガッ!ーー
ーーズザッ!ーー
「っ!」
段差につまづき勢いのまま床を滑る。
だがすぐに起き上がると、呆然としたまま固まっている潔高の上着を掴んだ。
「どこに当たったの!」
「さん、お、落ち着ーー」
「どこっ!!!」
「
さん!」
普段は聞かない荒げた声にようやくの動きが止まる。
血の気の失せた蒼白顔で潔高を見上げてくるに、ゆっくりと潔高の唇が動いた。
「当たってません」
「うそ・・・」
「本当です、すみません驚いただけです」
「・・・」
「それより頬を擦りむかれてます。手当しますから上着かーー」
ーーズルッーー
「ちょっ!
さん!」
潔高の言葉に安心したのか、力が抜け傾いた身体を潔高は慌てて受け止めた。
固く掴み過ぎ白くなった指先で、は自身の額を押さえた。
「はぁ・・・・・・よかっ・・・」
と、納得しかけたの動きが止まる。
我に返り支えられていた潔高から離れるように肩を押した。
「いや、違・・・どうして、ここに居るの・・・帳、上がっても入ってくるなって・・・」
「連絡を受けたんです、今日あなたの担当だった補助監督から。
帳が上がって1時間経ってもあなたからの連絡が無いと」
「・・・いち・・・」
「なのでちょうど近場に居た私が様子を見に来ました」
語られた内容が衝撃だったのか、身動きを止めたは深々とため息を吐く。
そしてどうみても絶賛絶不調中ですという顔で潔高を見上げ呟いた。
「・・・ごめん」
「いえ、怪我が無いようで何よりでした。できるならこのまま家入さんに診ていただきたいところですが・・・」
「遠慮させて」
「そう言うと思いました・・・では自宅までお送りします」
潔高の肩を借り、車の助手席へと運ばれたはぐったりとしたまま潔高の運転で帰路へと着く。
普段は帰りの車内では何かしらの雑談があるが、今はの荒い息遣いが響くだけだった。
「さん」
「・・・ん?」
「私は呪術師の道を諦めてしまったので、共に戦う事はできません。
ですが補助監督は呪術師を支えるのが仕事です」
「・・・」
「体調が悪ければ、スケジュールは調整できます。ですから私に仕事をさせてください」
歯がゆさと心配、そして悲しみが含んだ声。
熱に浮かされ思考がまとまらない中、聞かされた言葉の返しをは呟いた。
「ちがう・・・」
「はい?」
「あんなこと、あって・・・私、伊地知くんも高専辞めると、思った・・・」
いつもなら昔の話を滅多にすることがないの語りに、運転しながらも横目で心配そうにしながら潔高は耳を傾ける。
「伊地知くん、灰原先輩たちと仲、良かったし」
「それは・・・」
あなたもそうでしょう、と続きそうな言葉を潔高は呑み込む。
青い春に起きた、苦すぎる痛みが引き起こした傷跡は同じ時期を過ごした者達を変えた。
それは10年近い年月を経てもなお、未だに病巣のように燻り続けている。
隣に沈むように横になっている同期でさえ、高専時代から変わった。
本心を笑みの下へ隠し、任務の負傷はより隠すようになり周囲への気遣いは過ぎるほどに増した。
まさしく今回のように抱え込んで、挙げ句に一人では歩けないほどまで我慢してもこの人は周りを頼ることも声を上げることすらしなくなった。
「でも、伊地知くんは残った・・・補助監督だって術師とおなじくらい、命の保証なんかない、のに・・・」
「私にできることなどサポートしかありませんが」
「んーん・・・十分、ささえてもらってる」
「今日は饒舌ですね」
遮ることをせず運転している潔高がそう言えば、しばらくして助手席に座ったは吹き出した。
「ふは・・・ホントだ、熱でどうか・・・」
言いかけただったが目元を手の甲で押さえ唇を引き結んだ。
「いや、違うか・・・」
「違う?」
「伊地知くん、だからこんな話し・・・っ」
まるで鎧が剥がれたような、昔の高専時代のあの時に戻った素のままの姿。
同期だからこそ、互いの弱さを互いの手で支え合って歩いていたあの時のように。
押さえられない震える声で今の渦巻く思いを絞り出しているに潔高は驚いたように目を見張る。
「さん?」
「ごめん、呪術師のくせに・・・私、いつまでこんな情けない姿・・・」
「・・・」
「ごめん」
「・・・」
「たくさん・・・心配、不安ばっかり・・・本当にごめ・・・」
「謝らないでいいですよ」
潔高の慰めの言葉に、は堰を切って溢れた感情を抑え込むようにさらに唇を噛んだ。
「大丈夫ですから」
「ふっ・・・」
繰り返される言葉に、目元に置かれた拳が軋みを上げる。
そして隠された手の甲の下からこぼれた雫を潔高は拭うと、アクセルの踏み込みを強めた。
ぱちっと目を覚まし、見覚えのある天井に自宅だと理解した。
「だる・・・」
かすれた声で呟き、疲れたように息を吐いた。
どうやって帰ってきたのか覚えていない。
思い出されるのは昨日の任務だったが・・・
(「やば、伊地知くんが迎えに来てくれたところまでしか記憶がない・・・」)
ベッドから上体を起こす。
未だに気怠さが抜けず、重量がかかる頭を腕で支えながら深く息を吐いた。
(「はぁ・・・色々こっ恥ずかしいセリフ吐いたような気がしないでもないけど・・・夢?
いや兎も角、まず薬飲みたいから何かを・・・って、まずは買い物が先か、冷蔵庫カラだったし」)
喉が渇きすぎていたので、起き上がり水を飲もうとベッドを抜け出した。
素足にフローリングの冷たさが伝わる。
一歩歩く度に思考がクリアになる。
今日休めば恐らく任務に支障はない程度まで熱は下がるだろう、これまでの経験則からそう判断しながらキッチンへと向かえば飛び込んできたのは冷蔵庫に貼られたメモ書きだった。
『勝手ながらお粥を作りました。食欲が出たら食べてください』
「・・・」
その瞬間、昨夜の出来事が一気にぶり返す。
熱で朦朧としていたとは言え、昨日の夢うつつのような出来事はすべて現実だった。
無論、自分が吐いた言葉も情けない姿も何もかも。
目の前にその証拠があることで、とんでもない時間差で風邪とは別の要因で一気に顔に熱が集まった。
「マジか・・・///」
冷蔵庫の前に頭を抱えて座り込んだはそう呟くしかなかった。
Back
2023.06.11