ーーそれでも前へーー




















































































































夜も更けた薄暗い廊下を歩く。
歩くたびにわずかに軋む音を聞きながら、 は先程言われた言葉を反芻していた。

(「生き急ぐな、か・・・」)

耳に届く音は学生時代から聞いていた耳慣れた音。
まるであの頃に戻ったような錯覚に一瞬陥り、ふと足が止まった。
木造張りの窓から見上げた先には、厚い雲からどうにか顔を出そうとしている月の薄明かりが淡い光源となって廊下はいつもよりも暗い影を落としている。

「・・・」

青い時代の記憶が重なる。
あの時は、任務後で日が出ていた。
ただあの時と同じ状況であることは、自覚していた。
違うといえば、あの時は自分の限界を見誤ってあの人の手を煩わせてしまったことで、今は体力が尽きて寝けこけて学長の手を・・・
そこまで思案して、大して違いは無いことに変われていない自身に苦笑が浮かんだ。
そして、尊敬している先輩からかけられた言葉は、自身の不甲斐なさを突きつけられているようで無性に情けなくなった。

(「別にそんなつもりはないんだけど、そんな風に見えてるのか」)

自己嫌悪に再び襲われる。
いや、きっとこんな時間に考え込んでいるのも後ろ向きな思考に拍車をかけているのだろう。
さっさと帰ろうと止まっていた足を再び進めていた帰り足の途中、自販機が並んでいる場所で無視できない人物を発見してしまい足が止まってしまった。
このまま何も言わずに去る、という選択肢はもちろんできる。
・・・できるのだが、途中で飽きて放り出されたとはいえ相手をしてもらった事実がある以上、礼の一つも言っておかないと後日になって恩着せがましくある事ない事並べ立てられ、任務に差し障りが出るほどが面倒になるということが簡単に予想できた。
心身共に疲れ切っていたが、後日の面倒を好き好んで引き寄せるなんて冗談じゃないと、 は仕方なく進路を帰路から外して歩き出した。
そして用件を手短に済ませるべく、ベンチに体を投げ出すように占領している悟に聞こえるだろう距離で足を止める。

「ありがとうございます」

気配で誰が来たのか分かっていたはずだろうと思い、 は用件である礼を告げる。
だが反応は無く、もしや眠っているのかと思いかけたところにむっくりと顔が上げられ、返されたのは疑問符だった。

「は?」
「・・・昼間のことです。ありがとうございました、相手していただいて」

すっとぼけているのか、本当に意味が通じなかったのか分からなかったが、きちんと事情を含めて再度礼を口にする。
ついでにご機嫌取り用の飲み物でも買おうと小銭を自販機へと入れ、一番甘そうな飲み物を探す。
どうせ間を置かずに感謝しろだの、やっぱりお前は実力不足だの、無駄な時間だっただの、これでもかとデリカシーのないフレーズを並べてくるんだろうと自身の予想にイラッとしたが、事実でもある以上今日は甘んじて受けてさっさと帰ろう。
何しろ、こちとら疲労困憊で言い合いする気力すら面倒なのだから。
と、

「どーいたしまして」

届いた音は全ての予想を覆すもので、押そうとしていたボタンを思い切り見誤り違うボタンを押してしまった。

「・・・は?って、うわ!」
「何よその反応」

不貞腐れていることが分かる口を尖らせる悟に、 は押してしまったおしるこソーダをひとまず取り出し、新たなコインを入れていちごみるくのボタンを押し再び取り出して振り返った。

「いや、てっきり崇めろとかイケメンに相手しもらって感謝しろとか、相手してやったから何か買ってこいとか、イタイこと言うかパシりを要求されるものと思ってたので」
「普段の僕の評価がよく分かったよ」

目元は隠れていても口元は盛大にへの字に曲げた悟に は不気味さを隠さない顔になる。
どうにも今日は予想に反したことが起こりすぎて妙に気疲れが増すばかりだ。
これ以上のハプニングはキャパオーバーになると判断した は2本目に買ったいちごみるくを悟に押し付け、帰路に戻ることにした。

「じゃ、言うことは言ったのでお先です」
「帰んの?」
「当たり前でしょう」


本音を言えばさっさと帰りたかったが、呼び止められたことで仕方なく振り返った。

「なんでーー」
ーービチッーー

瞬間、目の前に星が飛んだ。
突然走った痛みに足元はよろめき、さっきは(嫌々とはいえ)礼を返したというのに文字通り恩を仇で返されたことで怒りが再燃した。

「痛っだ!ちょ!暴力っ!」
「人聞きの悪い、ただのデコピンだっつーの」
「五条さんがやったら頭蓋骨陥没レベルですよ!」

涙目で抗議するも、いつもならイタズラ成功でしてやったりな顔となっているはずの男の顔はそこには無かった。

「じゃ、そうやって泣いときゃいいでしょ」
「こんなんで泣いてたらまたバカにーー」
「しない」

そして、いつもなら外すことはない目隠しさえも外して普段は隠れている六眼が を見据えた。
闇に煌めく自身の心内を見透かすような藍玉に は無意識に距離を取る。

「な、に考えてーー」
「言ったでしょうが。泣きたきゃ泣け」
「ばっ!馬鹿にしないでください!私は!!」
「そうやって追い込んでどうにかなるなら今も昔もぶっ倒れてねーでしょうが」
「っ!」

今は考えたくない事を・・・
あえて今は目を逸していた事実を突きつけられ、 はぐっと反論に詰まる。

「ら、らしくないことを・・・泣いたってどうにもーー」
「あー・・・もーいいや、面倒」
ーーガシッーー

頭を掻いた悟は言うが早いか の片手首を掴み上げる。
当然、脈絡もない流れでのそれに は不審さを募らせたが、鍛錬後の余韻で思わず応戦しようとした。

「このーー」
ーーガッ!ーー
「ちょっ!」

が、反論も揃わぬうちに足元を払われ、ひっくり返るかと思った僅かの間、横抱きの形にされた。
抵抗しようと身体を捻ろうとした瞬間、一瞬だけ浮遊したような感覚が走り、次に感じたのは頬を撫でる冷えた風だった。
視界を埋めるのは遠くに広がる都会の営みの灯りと一面に広がる夜景。

「は?」
ーーパッーー

なんのつもりか、どうしてこの場に連れられたのか理由を質そうとした間もなく、横抱きにされていたはずの手が外される。
すなわち、地上からはるか高い位置からストッパーとなっていた支えを失ったという事。
身体は自然の原則に従い、当然のように重力に引かれて自由落下を始めた。

「きゃあぁー!ちょ!馬鹿じゃないですか!なんでこんなところに連れ込んだ上に落とされなくちゃいけないんですかあぁー!!!」

抗議は虚しく夜空に響き渡るだけ。
耳を埋める風を切る落下音、そして迫ってくるコンクリートの壁。
このままじゃどこかのビルの屋上に叩きつけられてThe endだ。
自由落下を続ける体勢を整えどうにか空気抵抗を大きくし、着地と同時にその場所はミンチになる予想をしながらも呪力を練り上げこんな暴挙相手に恨み節を募らせる。

「あんのっ!ばっ!丸腰だっつーのにっ!!!」

罵詈雑言を並べても目前にその瞬間が迫ってくる。
タイミングを見誤れば間違いなく死ぬ。
だが、死の目測とその感覚はいつもの任務で感じているもの、いつも通りにやれば死にはーー

「・・・」

その瞬間、まとっていたはずの力の流れがかき消える。
そして今や目の前を埋め尽くした灰色の壁が視界を埋めた。
逃れようもないーー

ーービタッーー
「死ぬ気か」

コンクリートが肌に触れる寸前、まるで見えない壁にでも阻まれたように身体の落下は動きを止めていた。
そして呆れ果てた声に振り返れば、不機嫌そうな悟が を見下ろしていた。

「なーんで呪力消すかね」

まるで猫でも摘むように、上着の首根っこを悟に掴まれた状態で降ろされようやく足が地についた。
混乱している訳も恐怖で身が竦んでいる訳でもなかった。
沈黙を続ける に悟は呆れたまま続けた。

「助けてもらってなんか言うことないわけ?」
「・・・助けなきゃ、良かったじゃないですか」

応じられた声は小さく、悟は怪訝そうに柳眉を上げる。
は早まる鼓動を抑え込むように胸元を強く握ったが徒労に終わった。
馬鹿だ。
分かっている。こんなこと言っても仕方ないのに、だたの八つ当たりをこの人に言うべきではないというのに。

「わざわざ・・・わざわざ五条さんの手を借りないと助からないなら、私なんて居なくてもいいじゃないですか!」
「は?いや、落としたのはーー」
「どうせ私はあなた達みたいに強くないのは分かってます!いくら頑張ったって到底及ばないことだって!でもあなた達に頼りきりになりたくないからどうにかしようって思ってるのに!」

自身の感情に振り回されるなんて、術師失格だ。こんな無意味なことしかできないから、いつまで経っても弱いままだというのに。
だが冷静な頭でそう思っていても、身体の底から吹き出したどす黒い激情に突き動かされるまま、へたりこんでいたはずの は悟に掴みかかり振り返りざまに握った拳を振り上げた。

「わた、しじゃ・・・」

しかし、それは相手に届くことなく力無く下ろされた腕と共に声も勢いを失った。
言葉をつかえる相手にやっと の顔を見た悟は目を見張った。

「結局、私は・・・私には何も・・・」

先程の悪戯のような痛みに抗議するような泣き顔とは違う、精一杯踏み留まろうとしてそれが叶わないことへの悔しさと不満を混ぜ込んだ酷く頼りない顔。
ついに膝を折った は声を押し殺して肩を震わせる。 きっかけを作った張本人である悟は右往左往しながら、どうにか言葉を探しながら冷える夜風から守るように自身の上着を の肩へ乗せた。

「悪い」

絞り出した謝罪は小さいが、込められた誠意にからかいは無かった。

「こういう感じにする予定じゃなかったっつーか、日中はやり過ぎだって硝子に言われて・・・」

頬を掻きながら悟は釈明を並べていく。
バツが悪いのを自覚しているのか、悟は と向き合う形でしゃがみ続けた。

「あー、その・・・つまりだな、お前に居なくなられるのは困る」

顔を覆っている には見えないだろう、叱られた子供のような表情で素直じゃない不器用な言葉を紡ぐ。

「・・・」
「だから、無茶すんな。硝子もお前が気に入ってんだし」
「・・・・・・」
「おい、そろそろ何か言えよ」

その後もボソボソと謝罪らしき類を重ねていたが、一向に相手からの反応が無いことで、短い堪え性を発揮した悟が顔を上げない の腕を引き上げた。
瞬間、

「・・・気持ち悪っ」
「あ"ん?」

条件反射で悟は の胸倉を掴む。
も負けじと赤らめた目元のまま掴まれた手を外そうと両手で掴み返した。

「お前さ、硝子も心配してたから人が気を遣ってやれば調子に乗り過ぎじゃない?」
「だからそれが気持ち悪いんですよ、遣う気がないなら遣わないでもらえます?気持ち悪い」
「繰り返すな。こんなイケメンに気遣われてんだから感謝しろや」
「顔面偏差値低い相手からの暴言なんか気にしてどうするんですか、顔の割に狭量極まれりですね」
「こんの・・・雑魚い実力くせに偉そうにーー」
「っ!悪かったですね!」

勢いが収まったと思えば再びの怒声に悟は目を瞬いた。
僅かの睨み合いの末、 は顔を背け悔しげに続けた。

「・・・そうですよ、どうせ私には結局、まともな実力を持つなんて無理な話ですよ・・・」

悪態の割に弱々しい語調。
悟の手を掴んでいた両手は力を込めすぎた所為で白く血の気を失っていた。
再びの沈黙に、小さく嘆息した悟は自身から手を離した。

「そうだっつーの。無茶して死ぬくらいなら実力範囲の仕事してろ」

突き放す物言いにカチンときたのか、 は涙目のまま睨み返すも悟は不敵に笑い返した。

「お前の無茶分くらい最強の僕にかかればちょちょいなんだし」
「・・・そりゃそーでしょうよ」
「その代わり、残った凡人にしか手が回せないところはお前がどうにかしてよ」
「!」

その言葉に は目を瞠った。

「ほら、僕って最強だけど一人だけじゃん。イケメンな人気者は忙しいわけだし細かいところはお前の仕事ね」

それはまるで、仲間の一人と認めてもらえているようで。
使い道が無いと見限られた訳でも逃げ道へと追いやられたのでもなく、実力者とも言えるこの人と同じように役立てる道があることを言われたようで。
僅かでも自分にもできる道があるというその言葉が自身を覆っていた暗い感情を払拭してくれていることに は違う意味で腹立たしさを感じながらも憎まれ口を返した。

「私にできることなんてたかが知れてますけど」
「んなこと知ってるっつーの」

いつもの調子に戻った悟は落ちた上着を拾い上げ振り返った。

「それが僕にはできなくてお前にできることでしょーが」

夜のネオンを背負った悟の不敵な言葉は、足掻いていた苦しみの果に得た光のように見えた。
こんな人のその言葉が嬉しく思ってしまうのが悔しく、またにじみそうになった視界を落ち着かせようと は顔を背ける。
そんな に悟が上着を再度かけてやりながら、いつもの調子を戻し続けた。

「ま、正直お前がそうやってヒスってる理由もよく分からんし、同じ感じでヒスってる奴が居たらお前に任せるからよろ〜」
「・・・」
ーーバッチーーーンッ!ーー

こうして、数秒前に組み上がった尊敬と感謝はその当人によって寒空に塵へと帰したのだった。

























































ーー結局、一週間口を聞いてもらえなくなったとさ
家「おい、
 「お疲れ様です硝子さん。頼まれていた在庫チェックは終わってますよ」
家「お、おぅ、サンキューな。ところでーー」
 「はい、衛材の発注も終わって来週届く連絡もらってます」
家「あー、うん。それも助かった。それでだーー」
 「来月予定の定期検診については補助監督から術師宛に一斉連絡を行ってもらうように伊地知くん経由で手配済みです」
家「・・・はい、ありがとうございます」
 「では、私はこれから任務なので失礼しーー」
 ーータンッーー
家「 さん、先輩の質問を聞いてもらえるかね」
 「内容によっては拒否しますがそれでよければ伺います」
家「んじゃ、医務室のベッドを占領しているあのクズと何かあったか?」
 「そんな人知らないので失礼します」(満面笑)
 ーーバタンッーー
家「怖っ、激おこじゃねーか。何したんだ五条」
五「・・・気遣ってやっただけだし」
家(「こりゃ、余計な一言も言った感じだな」)





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2025.12.07