ーー人はそれをママと呼ぶーー











































































































ーーピピピッピピピッ・・・ーー

定期的な間隔の電子音はすぐさま止められた。
次いで、布団の中から重々しいため息が吐き出される。

「・・・はあぁ」

その程度で疲れが消えるわけではないが、気分の問題で止めることもできなかった。
本音をいえばこのまま二度寝したいが、仕事はきっとさらに増えていることも分かって潔高はむっくりと起き上がった。
よれよれのシャツに寝起きらしい寝癖。
数時間程度の仮眠では大した効果がないことを示すような目元の濃いクマ。
いつもなら胃痛とセットの頭痛に目覚めの気分は良かった試しがなかったが、今日に限ってはその頭痛がかなり軽い。

(「なんだか、いつもよりすっきりした気が・・・?」)

ぼんやりと考えながら右手を付いた時、何かに当たり視線を横に移す。
スマホは左側、右側には何も無いはず・・・だが、そこにあったのは人影のような塊。
驚いた潔高は慌てて枕元のメガネをかけて再度見下ろせば、そこには同級生が静かな寝息を立てていた。

な!?なんーー」
「・・・ん」

驚きながらも小声だったはずの潔高の声に気付いたのか、は目こすりながら起き上がった。

「あ、ぉはよ」
おっ!おはよう、ございます」
「ちょうど良かった。仮眠明けで悪いけど、ちょい相談あるんだけど今からいい?」
「も、勿論です!」
「ん。じゃ、先に向こうで待ってるから」

同じように寝起きらしいは起き抜けの緩い動作で踵を返していった。
その後、身支度を整えた潔高は補助監督室へ戻ろうと薄い月明かりの中、廊下を歩き始める。
すると、応援で呼び出した本当は非番だったあかりがちょうど補助監督室から出てくるところに出くわす。
向こうもこちらに気付いたようで、仮眠前の死んだような表情ではないハキハキとした表情で出迎えてくれた。

「はようございますっス、伊地知さん」
「おはようございます。新田さん、どれくらい進みましたか?」
「あ、新人の分はもう終わってるっスよ」
「え・・・」
「追加提出分の報告書の処理がちょうど終わったとこなんスけど、コピー用紙無くなったんでこれから取りに行ってくるっス」

言い終わると備品倉庫あたりに軽快に駆け出していくあかりを見送ればちょうど角から歩いてきたコーヒーサーバー持ったとすれ違った。

「新田さん、コーヒー要ります?」
「欲しいっス!」
「じゃ、新しいの置いときますね〜」

のんびりとあかりに応じたは、補助監督室前で立ち尽くしているような潔高の前で同じように聞き返した。

「伊地知くん、コーヒーにする?それとも何か食べる?」
「え、と・・・それではコーヒーで」
「りょかーい」

すたすたと補助監督室へと入るにならって潔高も止まっていた足を再開させる。
そして、小さな打ち合わせスペースで向かい合うと、テーブルの上に並ぶ軽食を挟んで二人は腰を下ろす。
難しい表情を浮かべている潔高とは対照的に、淹れたてのコーヒーに口を付けたは緩んだ声を上げた。

「あー、うま・・・」
「・・・」
「ん?どうかしたの?」
「もしかして、新田さんのお手伝いをいただきました?」
「いや?一緒に軽く夜食食べたくらいだけど」
「そうでしたか。それで、相談とはなんでしょうか?」

ほっとしたような潔高はさっそく本題に移る。
すると、コーヒーを堪能していたようなはやっと思い出したようにカップをテーブルに置いた。

「あー、そうだった。実は私の担当してた補助監督なんだけど、倒れたから医務室で休んで貰ってるから」
「・・・はい?」
「多分、過労かな。
まだ新人だししっかり休めば復帰できるだろうから、それまでは残りのメンバーで回せるようにスケジュール組み直してもらっていい?」
「ちょ!待ってください!」

軽い調子での報告だが、はい分かりました、で済ませられる内容ではなかった。
だが焦るような潔高とは対照的に話を遮られるとは思わなかったのきょとんとした表情が返される。

「何?」
「い、いや、彼女が倒れたならどうやって現地から・・・」
「?私が運転したよ。免許も持ってるし、問題ないでしょ?」
「問題ですよ!」
「え、マジか。どっちも問題ないかと思ったけど・・・」

バツが悪い様子で頬を掻くに潔高は恐縮するように頭を下げた。

「すみませんでした、彼女には同じことが無いように・・・」
「別に気にしなくていいよ。今日の任務じゃ私は無傷だったし。
流石に、五条さん相手にそういうことはしない方がいいとは思うけどね」
「それは・・・そうですね」
「ま、そもそも五条さんのサポートできるのは伊地知くんだけだろうけど」

当然事のようにはそう言うと、調子を戻し再びコーヒーを傾ける。
だが、相手が同期だからこそこの程度のやり取りで済んでいるといえた。
通常なら、術師が補助監督をフォローすることの方が圧倒的に少ない。
まして苦情や嫌味の応酬を吹っかけることなく、療養に回したりスケジュール調整まで手回ししてくれるのは術師の中では潔高の同期以外は居なかった。
サポート側まで気にかけすぎではと思うほどの気遣いに心配になるが、忙殺されている今のような状況においては神の救いに等しい手助けであることには変わりなく、潔高はただただ頭が下がる思いだった。

「ありがとうございました」
「いえいえ、お安い御用でした」

ひらひらと手を振って応じるに今度は潔高が話を振った。

「あ、あの、それと一つお伺いしてもいいでしょうか?」
「改まってどうしたの?」

畏まった様子に首を傾げたは先を促す。
が、口をつぐんだまま言葉はなく潔高の顔が赤く染まっていったことで、席から腰を上げたがずいっと距離を詰めた。

「熱でもある?」
「ひぇ!ありません!」
「分かった分かった、落ち着いてよ」

慌てて身を引いた潔高には降参だとばかりに両手を上げる。
暫くして言葉を探すような潔高だったが、ポツポツと話し始めた。

「あの、どうして・・・仮眠室に・・・」
「それは伊地知くん起こそうとしたけど、携帯のアラームがあと少しみたいだったから待ってたら私も寝落ちたってだけ」
「そ、そうでしたか・・・」

色気も味気もない回答。
半ば予想していたが、淡い期待という下心もあったのも本当で僅かな落胆もにじむ。
と、そんな相手の内心を読んだのか、がにんまりと顎に手を当てた。

「へ〜、何?襲って欲しかったとか?」
「そ!そんなことは!!」
「ごめんごめん、からかい過ぎた」

見てるこっちが恥ずかしくなるほど真っ赤になってしまった潔高に、は笑いながら謝り返す。
そして、自分の用件が済んだことでは腰を上げた。

「じゃ、硝子さんが来るまでは医務室で補佐待機だからあとよろしく」
「分かりました。お疲れさまです」
「あ、タブレットとか端末全部は新田さんに渡してあるから不足分は対応任せました」

潔高が確認するまでもなく先に必要な事務連絡を済ませるとは医務室へと向かって行った。
それを見送り、気合を入れ直すように深呼吸した潔高は自身の机に向いた。

(「よし、再開すーー!」)

だが、仮眠前と様子が違う。
いや相変わらず書類が山積みなことには変わりは無い。
ただ、ファイルや報告書の隙間に突っ込まれるように雑然と置かれていた書類は消え、書類、封書、ラベルが見えるように向きが揃えられたファイリング書類と整頓されている。

「え・・・」
「戻ったっスー」
「新田さん!」
「うわ!は、はいっス!」

鋭い呼び声にコピー用紙の束を抱えて戻ってきたあかりが背筋を伸ばした。

「この机の上、あなたが整理してくれたんですか?」
「え・・・いや、自分は自分の分だけで手一杯っスから。最初からそんな感じじゃなかったっスか?」

すん、と表情を無くしたあかりの様子から嘘をついている線は消える。
だが、そんな訳がないことは潔高自身が分かっていた。
仮眠前の無秩序な乱雑さが消え、並んだ書類は手前から処理すべき優先準備が高いもの順に並んでいる。
何より、あかりが処理したという追加の報告書は、仮眠前に自分の机の上に置かれたものの一つだったはずだ。
こんなことができる相手といえば、思い当たる人物など一人しか居なかった。

「・・・」
「どうかしたんっスか?」
さんは何時くらいに高専に来ましたか?」
「んー、確か日付変わった後くらいだったかと」
「そうですか・・・」

現在、草木も眠る丑三つ時。
過密任務を終え、倒れた補助監督の世話をした上、おそらく後輩の補助監督のフォローに軽食、さらに不甲斐ない同期の仕事の手伝い。
術師としては当然と、さらにはその域を超えてサポート側まで手を回してしまうとは。
有能が過ぎて泣きそうだった。

「・・・」
「あの、大丈夫っスか?」
「すみません、少し噛み締めてました」
「は?」
「新田さん」

状況を飲み込めず戸惑いしかないあかりに潔高は小さくガッツポーズを見せた。

「大変かもしれませんが、我々も踏ん張りましょう」
「う、うっす」

潔高の気合の入り方に若干引き気味に頷いたあかりは再び自分の仕事を再開する。
同じように潔高も優先度が高い書類を片付け始めていたが、暫くして一区切りついたことでから聞いていた件を思い出しコピー機の前に立つあかりに訊ねた。

「そういえば、さんを担当していた方の端末を受け取ってると聞いてますが」
「あぁ。これっスね」

あかりは自身の机の上に置かれた一式を手にすると潔高へと手渡した。
礼を述べそれを受けるとスマホとタブレットの電源を入れながら、潔高はこれからやるべきことを脳内にリストアップしていく。

(「窓への共有連絡、所轄の役所への任務完了通知、管轄エリアの駐在所への連絡とあとは・・・」)

電源が入った端末にパスワードを入力し、目的のアプリを開きメッセージのやり取りをスクロールしていく。
が、

「・・・ん?」

手にした目の前のスマホには各所への担当者との通話履歴、窓へのグループチャットには任務の完了と待機解除連絡が任務完了後だろう時間に送信済みとなっていた。
目を見張る潔高は次にタブレットを確認してみればこちらも同様。
まだ寝ぼけているのかともう一度確認してみたが結果が変わることはなく。
要するに、補助監督が本来するべき仕事がすべて終わっている状態に他ならない。
状況を理解した潔高はまさか、とわなわなと肩を震わせ勢いよく立ち上がった。

ーーガダンッ!ーー
「新田さん!」
「うわっ!こ、今度はなんスか!?」
「この端末のチェックはしましたか?」
「え?・・・あぁ、さんから連絡漏れ無いか念のためチェックしてくれって言われて確認したっスけど、特に問題無かったって答えたっスけど・・・」
「・・・」
「あ、すんません。なんか問題あったっスか?」
「・・・いえ、それは無いのですが・・・」
「よ、良かったっスー」

ほっと胸をなでおろすあかりだったが、問題はそういうことではない。

ーーえ、マジか。どっちも問題ないかと思ったけど・・・ーー

蘇る少し前のやりとり。

(「『どっちも』って、そういう意味だったんですか・・・」)

ようやく理解した真意に、潔高は天を仰ぐしかできない。
そうだ。
よくよく思い返してみれば、あの同期があんな表情をしていた原因が、代わりに運転してきた程度のことのはずがない。
もっと、第三者がからむような修正が利かない事態、その事後だったからあのようなバツが悪い表情をしていたのだ。
いつもなら、最初の会話の段階で予想できただろうことも、働き過ぎによる頭が働かない今の現状では、すべてが後手後手。
一方、尊敬する先輩の心理状況を把握しきれないあかりは、仮眠から戻って挙動不審続きとなっている潔高へ心配と不安をないまぜにしたまま恐る恐ると言った感じで声をかけた。

「・・・・・・」
「あ、あの・・・伊地知さん?もう少し休んだ方が良くないっスか?」
「・・・新田さん」
「は、はいっス!」

ぽつりとした小さい呟きにもかかわらず、あかりは思わず敬礼を返す。
すると、天を仰いでいた潔高は目頭を押さえるようにして感動を噛みしめるように続けた。

「我々は・・・恵まれてますね」

うなだれる潔高からこぼされた言葉。
気の所為だろうか、涙声な気もする。
だが、どうしてそういう反応で呟かれるかが意味不明なあかりは曖昧に同意を返すしかできなかった。

「は、はあ・・・」

そして、謎の感動に打ち震えている先輩をそっとしておくことを決め再びコピー機へと向いた。

(「過労で倒れているメンバーいる以上、コメントしずらいっスとか言えないっスね」)

この日、人知れず言えなかった本心は己の心中で留め置く大人の対応ができる後輩が誕生した日となったのはまた別のお話し。




























































ーーお疲れさまでしたってことで
 「ふわぁ、やっと帰れるー」
伊「お疲れ様です」
 「伊地知くんも上がり?」
伊「ええ。一区切りついたので一度着替えを取りに戻ろうかと」
 「はは、ブラック思考」
伊「おかげで助かりました」
 「何が?」
伊「よろしければご自宅までお送りさせてください」
 「それはありがたく頂戴します」







ーー相手違い
新「はぁ・・・」
 「新田さん、どうかしたんですか?」
新「あー、さん。実は伊地知さんがこの間荒ぶってまして・・・」
 「荒ぶる?あの伊地知くんが暴れるなんてあんまり想像できないんだけど」
新「いや、暴力的な感じではなくて・・・なんか、挙動的にっス」
 「ふーん、なるほどね。まぁ、ここ最近忙殺されてたし、ちょっとした親切とか追加の問題とかで気持ちも上下するんでしょ」
新「そういうものなんですかね・・・」
 「新田さん、その時仕事のアシストしたんじゃないですか?」
新「あー・・・確かに、少ししたっスけど」
 「人間、追い込まれている時の親切は心の救いですからね。情緒だって少しは乱れますよ。さすがは新田さんです」※原因主
新「は、はぁ・・・」(「なんか違う気がするっス」)






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2024.3.12