ーーウソツキーー
肩口からの出血が止まらない。
呪力も尽き、反転術式を使う余裕さえ無い。
手で押さえているが、段々力が入らなくなってきていた。
「っ・・・・・・!」
と、その時。
下ろした帳に第三者の気配がした。
(「・・・帳に誰か・・・まさか、応援が来てくれるような時間じゃ・・・」)
気配がした方向に目を凝らした。
しばらくして、枝葉を踏む音と共に現れたのは予想していた応援とは真逆の人物だった。
は運が尽きたとばかりに、背にしていた幹に頭を預けた。
「はぁ、最悪・・・」
「久しぶりだというのに開口一番、ご挨拶だね」
軽快な口調で、かつての先輩が片手を上げてこちらを見下ろす。
それに
は不満げに睨みつけた。
「元気そう、ではないね」
「・・・お陰さま、で」
負傷したのは利き腕の肩だ。
呪具は手にしているが腕が上がらない状態では応戦もままならない。
何より失血が多い現状では、立ち上がることもできない。
万事休すということだ。
「殺すならサクッとお願いします」
「別に君を殺しに来たわけじゃないんだけどね」
「呪詛師が何を言うんですか」
「元々目をつけていた呪霊なんだ。横取りしたのはそっちだよ」
「目の前に商売敵、しかも瀕死。逆なら私は手を下しますよ」
「うーん、私はそのつもりはないんだけどな」
「は・・・どの口が・・・」
最近、再び上がっている任務の妨害報告、呪術師の死傷報告。
どれも1級案件以上で、高専関係者には呪詛師絡みによる仕業であるという結論となっていた。
そして、それが目の前のその人の仕業であることは、容易に想像がついた。
ついに自分の番かと、『引き』の悪さに悪態しか出てこなかった。
そんな
の心情を知ってか知らずか、傑は投げ出された
の足元で止まると困ったように笑い返した。
「いけないな、久しぶりに会ったというのにこうギスギスしたやり取りをしたいわけじゃないんだよ・・・君相手だと、どうにも素直になれなくて困るね」
「・・・」
素直、か・・・
残された時間はどれだけだろうか。
でもあと僅かなら、もう肩書も立ち位置もどうでもよくなってきた。
「・・・あなたのことを聞いた時、信じられないと思ったんです」
出し抜けに呟かれた
の言葉に、傑は目を見張った。
「そうか・・・」
「でも・・・共感もできてしまったんです」
今でも思い出せる、あの日は暑い日だった。
聞かされた話はどれも信じられなくて、まるで物語を聞いているようで他人事だった。
でも気持ちは分かった。
何より、当時の自分は傷心だったこともあって余計にそう思った。
でもやはり、間違っていると思ったのも本当だった。
「苦しかったですよ。
あなたが去って、私には残された二人に何も言えないし、できなかった」
「うん」
「七海先輩は高専を離れるし、同期からは無駄に心配されるし」
「うん」
「あなたは、一人になる、し・・・」
嘘だ、今も苦しい。
どうして?何故?と聞けば、きっとこの人は答えるだろう。
けどその答えには全力で納得はできない自分が居た。
その気持が分かるから苦しくて悔しくて納得できない。
だめだ、これ以上の話は堂々巡りになる。
は考えを打ち切るように大きく息をついた。
そしてまだ頭も動くなら、最後に確かめたいことを口にする。
「夏油、先輩・・・」
「何だい?」
「どうして、卒業祝いなんか・・・」
「後輩を祝ってはいけないかな?」
「9本のバラは、余計です」
わざわざ渡しに姿を見せたことも不可解だった。
『偶然』を装ってまで。
その上、意味をもたせた本数に人の気持ちを弄ばされたことが酷く腹立たしかった。
「余計か・・・その時の素直な気持ちだったんだけどな」
「そんなに私を、呪いたいんですか?」
言葉にしたくなかった。
この気持ちを、感情を名付けたくなくて目を背けたかったのにわざわざ仕向けたことが許せなかった。
「私は誰も呪いたくない、気付いていたはずです」
「君も分かっているだろう、私は本心を言わない嘘つきだって」
「嘘つき?・・・本心を言えないだけの、弱虫ですよ」
「君も認めたくないだけのように見えるよ。自分の気持ちから目を背けているんじゃないのかい?」
「・・・」
「硝子あたりはズバッと言ってそうだけどね」
流石、付き合いが長いだけある。
その通りだ。
だが、全部を分かっていない。
「私は本心です・・・これ以上、あなたを苦しめてどうするんですか?」
もはや叶わぬ願いは、厄介な呪いでしかない。
足枷となるなら自分には必要のないものだ。
だから、決めた。
誰が相手でも仲間は守ると。
自身のことはどうでもいい、仲間が守れるならと今まで走ってきた。
「本心か・・・もっと早く聞きたかったかな」
「聞いていたら、何か変わっていましたか?」
「・・・」
「連れて欲しいと願っても、あなたはきっと断りましたよ」
「私は高専関係者と対峙しても戦えるしそれを辞するつもりもない。
同じ信念を持つ者を今は必要としているんだ。
君には無理だよ」
「どう・・・でしょう」
今の状況では、結局どちらにも付けない。
どこまでも中途半端だな、私は。
そろそろ限界だということが分かり、
はもうぼやけて見えない傑へと伝えた。
「・・・殺して、下さい」
「呪詛師に願うのかい?」
「好きだった先輩に願っちゃ、ダメですか?」
別れの言葉に軽く吹き出した傑は
のそばへと歩み寄った。
「その言い方はズルいな」
顔にかかった前髪を払われる。
初めてだったはずなのに、昔同じようなことをされた気がした。
最期だというのに、この人の顔も見れないとは半端者の自分には分相応だ。
「苦しまないようにはしよう」
「はは・・・相変わらず、優し・・・」
頬に触れた指先は酷く熱い。
だめだ、もう意識を保ってられない。
「・・・ごめんね、
ちゃん」
それはこちらのセリフだ、そう言いたくても口は動かずただゆったりと闇の中へと意識は落ちていった。
(「・・・え」)
目の前に見覚えのある天井がある。
一瞬、理解ができなかった。
が、ガバッっと起き上がり、負傷した右肩を見れば包帯が巻かれただけで動かすこともできた。
「生き、てる・・・」
ーーガラッーー
「なんだ、目が覚めたか」
医務室の扉を開けたのは、自分を治療したであろう先輩でもある硝子だった。
「しょ、こさん・・・」
「どうした?」
「わ、たし・・・どうして・・・」
「説明が必要みたいだな」
動揺を見せる
に、ベッドの隣に座った硝子は話し始めた。
「帳が上がって、お前は瀕死で転がってた。
応急処置されたおかげで一命は取りとめたが、あの任務から一週間、お前は昏睡してたんだよ」
淡々と語る硝子の話を聞いていた
だったが、聞かされる話は納得できるものではなかった。
「・・・いや、そんな有り得ないです。だ、だってどう見てもあの出血じゃ・・・」
「それと、上からお前に出頭令が出てる」
「・・・は?」
「手配している呪詛師の残穢が残ってた。それとお前以外の血痕も。
それについて直に報告しろってことらしい」
「・・・なん、ですかそれ・・・」
残穢なら分かる。
呪術師を呪力で殺さなければ呪いになるから。
なのに何でここで自分以外の血痕がどうのという話になってくるんだ。
いや、そもそも自分が生きているということが・・・
ーー『・・・ごめんね、
ちゃん』ーー
「はあぁ・・・」
(「何、考えてるんですか・・・」)
は頭を抱えるしかできなかった。
あれはこうなることを見越しての謝罪ということだ。
「硝子さん」
「何だ」
「私の負傷をどのように報告したんですか?」
「ありのままだよ、ほれ」
質問の意図が分かっていたらしい硝子は、机の上に置かれた報告書を
に渡す。
文字を追っていくごとに報告書を持つ指に力が入りシワが寄った。
どう見ても作為的だ。
「・・・こんな報告で上は納得したんですか?」
「ありのままの事実だ」
「『負傷部からの残穢は呪詛師によるもの』って、応急処置されたってさっきーー」
「反転術式が使えるお前自身が応急処置したと考えるのが妥当だろう」
「そんなのーー」
「その上、お前の呪具から至近距離から呪詛師を撃ったと思われる返り血、撃たれた現場と思われる場所に血痕。
呪霊を祓って、呪詛師を撃退後、負傷により離脱。文句あるのか?」
「おおありですよ、事実と違ーー」
「
」
続きを遮った硝子は
から報告書を取り上げた。
尚も反論を続けそうな
に硝子は諭すように続ける。
「上はお前を疑ってる、これ以上自分の立場を危うくしてほしくない」
「でも!」
「あいつはお前がこうなることを見越して、わざわざ偽装までしてる。乗ってやってくれ」
「・・・」
「上から目を付けられたらどうなるか、お前は学生の時に見てるだろ?
私達と同じ目には遭わなくていい」
苦い思い出の一端を語られた
は何も言えなくなった。
そんなことを言われては自身が取れる選択など決まってしまう。
「・・・いつですか?」
「主治医の見立てを込めて明日以降だろうな」
「分かりました」
硝子の提案に言外に同意した
は俯いたままそう呟いた。
「硝子さん」
「ん?」
「私・・・」
続きを待っていた硝子だったが、
は口を噤み首を横に振った。
「・・・いえ、何でもありません」
「そうか」
一言だけそう言うと、硝子は部屋から出て行った。
はそのまま膝を抱え小さくため息をつく。
誰かに聞くことじゃないのに思わず口にしてしまいそうになった。
『私、戦えてますよね?』
あの時、言うべきは願いではなく恨み言だったのだろうか?
それとも当たらぬ事を分かっての反撃だっただろうか?
手を下さなかったのは、自身の覚悟の甘さか、それとも自覚してしまったからか。
今の
には分からなかった。
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2021.10.29