ーー不択と不同意ーー


















































































































「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ!」

細い路地を駆ける。
まるで誘うように残された途切れ途切れの残穢を必死に追う。
白い吐息を追い抜き廃墟の階段を駆け上がり、錆びついた鉄扉を力任せに押し開けた。

ーーバダンッ!ーー

しかしその場に求めていた人は居なかった。
誰も居ない屋上で、荒い息遣いだけが響く。

はっ!もう、何なの。馬鹿みたい・・・」

自嘲と共に、馬鹿な考えを抱いていた自分の頭を抱えてうずくまった。
任務で自分が待機していた場所に残されていた残穢。
気付いた瞬間、走り出していた。
呼び出しの携帯すら構わず、ただ走った。

(「もしかしたらって、少しは思ったんだけどな・・・」)

会いたいけど、会いたくない懐かしいあの人のもの。
先輩として助けてくれて、先輩なのに酷く脆そうに見えた。
今更会えたとして、あの人に自分なんかが何を言えると言うんだ。

(「でも・・・・でももし、会えたら・・・」)

肩にかけた呪具が重さを増した気がした。
高専を離反した『呪詛師』の末路は決まっている。
自分は呪術師の地獄を選んだ。
対極のあの人は呪詛師。
かち合えば待っているのは命のやり取りだけ。
それに、あの人は宣戦布告までしてきている。
選択の余地はない。

「っ・・・」

いつから私はこんなに迷うようになったんだ。
呪霊にも呪詛師相手にも躊躇などとうの昔に置いてきたはずなのに。
あの人と対峙して、私は戦えるのだろうか?

「・・・」

立ち上がり錆びた申し訳程度に巡らされた屋上の鉄柵を握る。
眼下には灯り始めたイルミネーションと賑わう人の流れ。
自分の立つ場所とはまるで別世界のようだ。
少し力を込めるだけで、錆びついた柵はポロポロと崩れていく。
あの人の心は私には推し量れない。
けど理解できる部分もあるのも確かだった。
身近で起きてしまった先輩の死、それを粗末な事と処理した上層部、非術者の無神経で心ない言葉。
力を持っているあの人だから、呪詛師の道を一人行ってしまったのだろうか。

「・・・私は、やっぱりあの時と変わってないのかな」

気まぐれだっただろうあの人と抱きしめ合った夜。
いつもよりずっと弱く、壊れそうだと思った。
特級という階級に居る人だから、私には立ち入れない一線だと思って越えなかった。
もしかして、それが今の状況を生んだのだろうか。
いや、すべてが遅きに失したことか。

「夏油先輩、私あなたと戦うことになったら・・・っ」

負けるのは恐らくこちらだろう。
高専時代から、近接で先輩陣に勝ったことは結局なかった。
死ぬのはそこまで恐怖はない。
希死念慮を自称・最強に言い当てられてから、よりそれを悟らせないように振る舞ってきたから。
どちらかといえば、怖いのはあの人が私を手に掛ける時にまた重荷を背負わせてしまうと思ってしまう事かもしれない。

「はぁ・・・怒られる前に持ち場にーー

目を疑った。
入り口の扉の横に立てかけられている携帯。
好物ストラップを贈ろうと、同期と半ば冗談で話して決めて渡してみれば、親友だったあの人は悪趣味だと腹を抱えて笑って、傍観人のあの人は目を丸くするその人の写真を笑い転げる背景と共に写真を撮っていた。
そして、その人は礼を言って嬉しそうに受け取ってくれた。

「なん、で・・・」

震える指先が、使い古した携帯を掴む。
と、同時に着信が鳴った。
画面を開けば、非通知、の文字。
このタイミングでかけてくる相手など、一人しか居ない。
迷わず通話ボタンを押すと、ゆっくりと携帯を耳に当てた。

『やぁ、久しぶりだね』

一気に思い出の蓋をこじ開けられたような、あの時と変わらないような声だった。
肺が、内臓が、ギュッと縮んだようで目の奥が痛くて、涙が溢れそうだった。

『しばらく合わない間に、キレイになったねちゃん。遠目でも実力が上がったのが分かるよ。
今は1級に及ぶ辺りかな』
「・・・」

何かを言わなければ、そう思いながら口を開くも言葉が出てこなかった。

『初めに言っておくけど、私に説得は無意味だよ。これは私が選んだ道だからね』
「先輩・・・どうして・・・」
『んー、そうだな。せっかくのイブだ、もう一つの運試しってところかな』
「ふざけるのもーー」
『あの時の答えを貰えるかい?』
「!」

愕然とした。
いや、どうして今更そんな選択肢が私に示されるんだ。
とある任務の帰りに問われた新たな選択肢。



















































ーー君は私の手を取れる位置に居るんだよーー



















































返す言葉を失った。

「・・・」
『おや、混乱しているみたいだね』
「あ、当たり前じゃないですか!何を今更!私は呪術師で、先輩は呪詛師です。呪詛師はーー」
『殺す』
「っ!」
『けど、君に私は殺せない。殺されるのは君の方だろう』
「・・・それが分かっていて、私が先輩に付くと思っているんですか?」
『いーや、君は自分が死ぬと分かっていても敵側に寝返るような後輩じゃないことは知っているよ』
「だったら!」
『私はこれでも結構、君のことを気に入っているんだよ』

止めてくれ、どうしてそんなことを今話すんだ。

『悪いが、時間がない。日が沈む前に決めてくれるかな?』
「・・・答えなんて、分かりきっているじゃないですか」
『君の口から聞いて、覚悟を改めたいから、かな』
「先輩、何を考えているんですか!」
『実はこのあとパーティーの約束をしていてね。遅れるわけにはいかないんだよ』
「いい加減にーー」

「!」

背後に突然現れた気配に硬直した。
夕日の影が足元に2つ伸びていく。

「分かってると思うけど、振り返れば殺すよ」
「っ!」
「答えを聞かせてくれないか?」
「・・・どうして私をここに呼び出したんですか」
「この話をするためだ」
「有り得ません。
あなたがわざわざ襲撃日を予告した今日この日に、危険を犯して高専関係者の目に触れるかもしれないここまで来たのは他に理由があるからです。
残穢まで残して、見つかることを覚悟するリスクまで取ってまであなたは一体何をーー」

目的を確かるべく振り返ろうとすれば、阻むように背後から抱きしめられた。

「言ったろ、振り返れば私に殺されてしまうよ」
「殺す相手を抱くのはありなんですか」
「強者の特権かな」
「・・・夏油先輩」
「言ってくれ、君の口から聞かないと意味がない」

まるであの時に戻ったようだった。
屈指の実力者のくせに、どうしてそんなに崩れ落ちそうなほど脆い姿を見せるんだ。

「引き返せないんですね」
「無理だな」
「夏油せーー」
「それ以上の質問は無しだ」
「・・・」
「沈黙は無意味だよ」

全ての逃げ場を絶ち、求めている一つの答えを求められる。
ああ、この人はきっとこれから大変なことをやろうとしている。
引き止められないならーー

「私は・・・呪術師としての責務を果たすだけです」

言い切り、携帯を持たない腕を後ろへ振った。
手にしたナイフの刃が夕日を受け一瞬きらめくも、空を切っただけだった。
即座にその場を離れると、腰に備えられたホルスターから銃を引き抜いた。

「!」

しかし、引き金を引こうとした瞬間の違和感に唇を噛んだ。
と同時に、再び背後から声が返される。

「悪いが、弾倉は抜かせてもらった。君の遠距離からの精密な攻撃は少し厄介だからね」
「殺すなら、早くしてください」
「そう急かさないでくれ」
「約束に遅れる男は最低ですよ」
「そうだね、今日遅れる奴は最低だ」
「その通りです」
「言い遺す言葉は?」

遺言、か。
そういえばあまり気にしたことなかったな。
ろくな死に方をしないだろうとは思っていたし、でも今この人に何かを遺せるなら・・・

「あなたの助けになれなくて、ごめんなさい夏油先輩」
「さようなら、ちゃん」

呪力が迫る気配がする。
楽に死ねるなら、呪術師としては結構マシな終わり方だ。

(「あぁ・・・私は結局、何もできないままだったな」)

再び心の中で小さく謝ると同時に、意識はそこで闇へと消えた。






































































































頬を撫でる感触にまぶたが動いた。

「ん・・・」

気付けば、空から降る白い雪。
はっとしたように周囲を見回せば辺りはすでに暗くなっており、廃ビルの屋上の入り口近くの壁へと寄りかかっていた。
慌てて飛び起き、周囲の気配を探るが辺りには何の残穢も無かった。

(「どうして!時間は!あれからどれだけ・・・」)

自身の携帯を見れば、時刻は6時。
日没が5時頃だとすれば1時間ほど意識を失っていたのか。
殺されず、意識だけ・・・
嫌な予感がした。
すぐに自分の呪具を改めれば、腰にあるホルスターも、予備の呪具も全てが揃っていた。
おかしい。
私の攻撃を警戒していたなら持ち去るのが手っ取り早いのにどうして残したんだ。
すぐに高専へ電話もかけるが、誰も取らない。
鼓動がますます早くなる。
補助監督へも片っ端からかけ直す。
と、もう片方の手にあった携帯にメールの受信が1件だけ示されていた。
電話をかけ続けながら、そのメッセージを開いた。

「っ!馬鹿じゃないですか!!!」

怒鳴ったはすぐに廃ビルを駆け下り始めた。
目的地は分かった、すぐに向かわなければならない。
すでに手遅れだったとしても、あの場所には学生が残っている。
生徒を殺させるわけにはいかない。助けられる可能性があるなら、ゼロじゃないなら。
呪力をまとい、数十段の階段を一気に下り駆け出す。

「っとに!」



















































ーー君は十分に私を助けていたよーー
ーーありがとうーー



















































どうして、あなたは最後まで自分の口で本音を言わないんですか。



















































ーー君は私の手を取れる位置に居るんだよーー



















































嘘ばっかり。
それを言うなら付いて来て欲しいって素直に言えば良かったんだ。
私が選ばないような聞き方をして、わざと言わせて。
襲撃地を明らかにしていたにも関わらず、近くに待機しているはずの呪術師や補助監督に連絡がつかないなら、あの人の目的は襲撃地じゃない、高専を堕とすつもりだ。
あそこにはあの人の親友が待ち構えている。
いや、高専でも新宿に居たとしても、かち合えば殺し合いしか待っていない。
自分にできることは無いとしてもあの二人を戦わせたくなかった。
車を拾い、可能な限り飛ばしてもらい高専へと向かう。
歯がゆい距離と時間にジリジリと身を焦がしながら、僅かな望みを抱き、どうか無事であるようにと祈り続けた。






























































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2021.10.29