年が明け、怒涛の忙しさが落ち着いたのは未曾有の呪術テロが起こって3ヶ月が過ぎた頃だった。
世間では旅立ちと新たな門出に浮き足立つ。
しかし呪術師にそんな季節のイベントは無縁。
代わりに思うのはやっと一区切りが着き、昨年のルーティンが戻ってきたと思えるようになったこと。
そして同じような状況となった先輩から久しぶりに飲みに誘われ、その人の行きつけの店でしばらく酒を酌み交わした辺りで、出し抜けの問いが投げられたのだった。
「お前、夏油のこと好きだったろ?」
ーーバカの集まりーー
当然、脈絡も前置きもないそれに、まだしっかりと頭が働いているは対面に座る硝子に困惑顔を向ける。
「どうしたんですか、突然」
「もう時効だろ」
即座に切り返された言葉を受けたは、噛み締めるように手元のグラスに視線を落とした。
「時効・・・・・・それもそう、ですかね」
彼の人が高専から去って9年、あの事件から3ヶ月。
負った傷を癒すにはあまりに深く、忘れ去るには短すぎる時間だった気がする。
「今にして思えば、多分・・・そう、だったんでしょうね」
「学生の時は分かり易ったな」
「え、そうでした?」
「お前じゃなくて、夏油がな」
驚くに対し、半ば呆れるように訂正した硝子は一口、酒を流し込むと続けた。
「お前は隠すのが上手いっつーか」
「それは・・・どうもです」
「馬鹿言え、褒めてねぇよ」
「う・・・すみません」
小さく縮こまる対面に嘆息した硝子は手元の盃に足しながら更に続ける。
「呪術師ってのは、世間でいう『普通』から外れてるからな。
そんな中、お前の何気ない『普通』の気遣いで救われてた奴は多かったと思うぞ」
「・・・まさか、買い被りですよ。気遣いなら硝子さんや伊地知くんだって」
「私は仕事上必要なことしか言わん主義だ。
それに男が男からの気遣いに素直に喜ぶヤツは少数派だっての知らないのか?」
「それは・・・」
ご尤もな正論には閉口することしかできず、視線をさまよわせる。
しかし、なかなか他人を褒めるような事をしない先輩からの言葉に何を返すべきか考えあぐねていれば、硝子の方が先に口を開いた。
「新宿であいつと会った時、少し話したのは知ってるだろ?」
「はい」
「別れ際、聞いたんだ。『には何も言わないのか』って」
「・・・」
「そしたらあいつ、『今会ったら攫いかねないから』だとよ」
鼻先で笑い飛ばした硝子と対照的に、は驚きに固まる。
ハンマーで頭を殴られたような衝撃だった。
いや・・・コレは知ってる。
離反した報告を聞かされた時と似ている。
言葉を続けられないをそのままにさらに硝子は続けた。
「お前はそれだけあいつを支えてたんだよ」
「・・・力及ばすな、結果になってますけどね」
「結果はお前が気にすることじゃない。詰まるところ、夏油が・・・あいつらが決めたことだ。
それにどうせ五条にしか手は下せなかっただろうしな」
「硝子さんには回らなかったと聞いてますけど」
「あぁ、五条のくせに妙な気を回しやがって。
その点についてはキレたがな、あのクズが」
「ははは・・・」
動揺で震えそうな声を取り繕いながら乾いた笑いをどうにか返す。
そして悪態をつく硝子を前に、は少しだけ物思いに耽るとグラスに残った琥珀色の液体を一気に仰いだ。
「おい、そんな一気にーー」
「学生の時に聞かなくてよかったです」
俯いたまま硝子を遮ったは呟く。
飲み干したグラスをテーブルに置いたは長く息を吐いた。
「もし聞いてたら・・・あの時、私はあっち側に立っていたかもしれない」
「・・・」
「揺れていた時期でしたからね、あの頃、酷すぎて伊地知くんからも凄く心配されましたし。
取り繕えなくなってた自分に対して、任務をがむしゃらにこなして必死に迷いを振り切ろうとずっと空回りしてましたっけ」
「でも、お前は呪術師としての道を決めただろ」
硝子の問いに答えが返されたのは数呼吸の時間を要した。
「・・・ええ、まぁ・・・」
嘘ではないためは濁して同意を返す。
それは事実。
だが、その本意は誰にも語ったことはなかった。
「とはいえ呪術師として歩んでいる中、夏油さんと会って心が動かなかったと言えば嘘になります」
「あいつも未練がましかったしな」
「はは、耳が痛いですね・・・それ、私にも言えちゃうんですけど」
恐らく、高専関係者の中では遭遇回数は一番多い気がする。
報告は上げてないが、恐らくそれに親友だったあの人も気付いているだろう。
あからさまな追及が無かったから、こちらもあえて伝えなかったが。
もしかして、あの人は勘付いていたのだろうか。
自分が呪術師の道を選んだ本当の理由を・・・
「どうにもできないと悔しさと歯痒さと無力さと・・・あの人に会うだけで感情の振れ幅が大き過ぎて、挙げればキリがない」
「後ろ向きな気持ちが強いな」
「そりゃ、結局あの人を思い留ま・・・いや、傲慢でしたね」
それ以上の言葉を切ったは再び手元を傾けようとしたが、空だったことに気付き元に戻した。
耐え忍んできたはずの想い。
術師を続けてきた理由。
それはもう叶わなくなった。
その理由となった人の手によって、二度と手に入らない。
それを改めて思い知り、は落ち着こうと深く息を吸おうとした。
が、震える唇は小さく、本意のカケラが溢れた。
「学生の時はただ・・・ただ、硝子さん達3人が一緒に居る風景が好きだったんです。
それが私の日常だった。
だからそれが戻るならって、子供じみた我儘を抱いていただけかもしれません。
呪術界の現状にあの人が苦しんでるのに気付かなかった。
いえ、見ないフリをしたんです。
特級の肩書きを持つあの人に私如きが立ち入れないと、勝手に自分で線を引いて手を伸ばさなかった。
本気で好きなら、その日常を守りたいなら私は動くべきだったのに・・・結局、私は我が身可愛さに何もしなかった。
あの時の後悔を取り戻そうと、躍起になってここまで走ってきたような気がします」
誰にも明かさないつもりだったのに、言葉は止まらなかった。
何度自問したか分からない。
あの夜、もし違う言葉をかけていたら?
あの任務で負傷した時、素直に戻って欲しいと伝えていたら?
あの路地裏で、一夜を共にしたあの時、最期のあの時・・・
考えるたびに後悔しか巡ってこない。
しかし、同時に思ってしまうのは自分の言葉程度で考えを変える人ではなかっただろう、という確信。
それで良いと思いながら、それが悲しくて仕方ない。
「耳が痛いな」
「え?」
本音の端をこぼしたが顔を上げた。
「私と五条はお前より近い、手を伸ばせるところに居たはずなのに、結局こうなった。
歳を重ねた今だから言えるが、まだまだガキだったんだ、あの時はお互いにな」
は飛び込んだ光景に固まった。
初めて見る、尊敬する先輩の笑みに差す諦観の翳り。
硝子はお猪口を煽った。
「頼ることも、心の内をさらけるのもの難しい歳で、そんな世界だったしな。
ま、今更こんなこと言っても遅いことに変わりはないが」
「・・・そう、ですね」
そう。
もう今更だ、終わってしまった。
あの人は親友の手で葬られ、二度と真意を質すことも答えてもくれない。
「・・・」
伝えたかったはずの想いすら・・・
「おい、」
「・・・え?」
ーーパタッーー
かけられた声と同時にテーブルを打った雫。
何故水音がと思えば、再びテーブルに透明な模様ができあがる。
それは自分から溢れていたものだった。
ようやく自覚したは目元を拭う。
「あ、れ・・・流し尽くした、はず・・・」
止めようとするも、それに反して涙は溢れるばかり。
拭っても拭っても何故止まらないのか分からず、は腰を上げた。
「すみ、ません。席をーー」
「いい」
ーーポンッーー
「いいよ、流しとけ」
の頭を優しく撫でた硝子には再び腰を下ろした。
「・・・」
あぁ、そうか・・・
「馬鹿、ですよ・・・夏油さんは・・・」
「そうだな」
「・・・私も、馬鹿だ・・・」
もう居ないことが、こんなに悲しく辛い。
本当は言ってやりたいことがあった。
騙し討ちみたいに人のことを出し抜いて、殴ってやりたい。
・・・あの手紙の答えを、言って欲しかった。
「はは、私達は馬鹿の集まりだったな」
「っ・・・ふっ・・・」
「死んだ後にあいつに会ったらぶん殴ってやるか」
「・・・はい」
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2024.01.12