ーー先達の導べーー
「眠れないのかい」
背後からかけられた声に
が振り返ってみれば、そこには腰に片手を当てた妙齢の女性が勝ち気な表情を向けていた。
特級術師・九十九由基。
つい数日前の渋谷事変であわや全滅かという九死に一生のタイミングで高専メンバーを助けたいわば命の恩人。
そして、先程まで倒すべき敵と死滅回遊というふざけたデスゲーム両攻略に向けての長い話し合いと今後の対策についてできうる限りの策を検討しあった人物でもある。
「いえ、少し目が冴えたので夜風に当たっていただけです」
「そうか。隣、いいかな?」
どうぞ、と返す前に
の隣に腰を下ろした九十九に妙な位置で止まってしまった手を自分の手元に戻す。
両者の間に僅かな沈黙が下りる。
には特に用事も用件も無い。
ならば他のメンバーにはまだ伝えられないことでもあるのだろうかと待っていれば先ほどと同じ声の調子で九十九が口を開いた。
「悩み事かな?」
と思っていたのは深読みだったらしく、どうやら用件は自分らしい。
前置きもあったものじゃない会話の導入に、
は小さく嘆息した。
「特級の方はどなたもカマかけからじゃないと会話のきっかけ見つけられないんでしょうか」
「心外だな。少なくとも、私は憂いた顔には直球勝負と決めているだけだよ」
「それは失礼しました。お詫びに飲み物でも持ってーー」
ーーパシッーー
「質問には答えてもらってないから聞かせてもらえるかな」
「・・・暗に答えたくないからはぐらかさせてもらったんですが。察していただけませんか?」
「残念だったね。私には聞く気はないよ」
特級というのはつくづく類友だなぁ、と内心でひとりごちた
は愛想笑いを浮かべながらも逃げる口実を探した。
「大したことではありません」
「そうか。じゃぁ尚更聞きたくなったな」
「では聞かせたくないので遠慮します」
「私だけに聞かせるのがそんなに気が引けるなら、ギャラリーでも連れてこようか?」
言いたくないと伝えているというのに、何を言っても退く気は無いらしい。
こういう所はやはり共通していて、
はうんざりとばかりに大きくため息をついた。
「はぁ・・・ホント、特級になる方々ってどうしてこうも癖強の個性的な方が多いんでしょうね」
「あはは、褒めすぎだよ」
褒めては無いんだよな。
と言ってやりたいが、言葉にしたところでこれまでの経験から結果は見えていた。
このまま舌戦を続けても気力を使い果たすだけなことが予想できたことで、諦めた
は仕方なく話し始めた。
「呪霊に身内を殺され、術師として道を選んでから20年になります」
「そういえば君は一般家庭出身だったね」
「ええ。夜蛾先生に助けられて、高専に入って色々ありました」
「ま、君らは波乱の世代だったからね」
「はい・・・だから、学生の時に悩み尽くしたはずだったんです」
闇に向けて呟いた言葉は言ったそばから吸い取られて消えていくようだった。
「己の非力さと凡庸さへの折り合いはとっくにつけていたはずでした。嘆く暇があるならすべて鍛錬に当てて少しでも歩みを止めないように、と」
「それなのにまた悩み始めてしまったから自己嫌悪中ということかな」
「・・・有り体に言えば、そうですかね」
言葉を飾らない九十九のむき出しの感情に名付けられた指摘に苦笑した
は続けた。
「呪術師ということは分かっていますが、彼らはまだ学生です。本当なら非術者と同じように友達と楽しく笑って学校生活を送っていい10代の若者です。
そんな彼らを国が滅ぶかもしれない苛烈な戦いに巻き込んでしまっている。大人として情けない限りです」
「五条悟が封印されてしまっている現状では致し方ないだろ」
「えぇ。消耗戦になることは渋谷の一件から分かりきっていました。分かっては、いるんです・・・」
自分自身の口でそう言った。
外れて欲しいと願ったはずの祈りの予想は、見事に的中。
状況ばかりが悪くなっていくのを止める手立てもなく、敵の思惑にただ流されるしかない現状に歯噛みするしかできない。
「分かっているんですが、その上で・・・私はあまりにも力がないことが本当に自分を殺したくなるほど恨めしくて後悔が募ってしまう」
ここに集ったメンバーの実力は疑っていない、だが状況が良いと言えるほどではない。贔屓目に見ればむしろ悪いだろう。
だがだからと言って手を拱いていい状況でもない。
これまでの比にならないくらい本当に命の保証が無いというのに、自分はあまりにも力が無い。
大声で叫べば少しは気が晴れるかもしれないが、叫んだって状況が変わるわけではない、それこそ時間の無駄だ。
だがそう分かっていても、心の内に膨れ上がる激情の代わりに押さえつけるように組んだ両手が軋む音を上げる。
「私は・・・」
どうすれば良かったんだろう。
誰に求めているとも分からない、答えが欲しい。
だが、誰も答えなど与えてくれないことなんて自分が一番分かっているのに。
「君は夏油くんに似ているね」
九十九の言葉に、冷水をかけられたような気がした。
白くなっている自身の頼りない両手から思わず隣へと視線が移る。
聞こえるはずがない血の気が引く音を耳にした気がしたが、次いで聞こえたのは自分が発したとは思えない疑問符だった。
「・・・は?」
「知っているかな。私達が敵対している相手は、呪術全盛の時代を生き抜いてきたやり手の男だ。
宿儺との関係も考えれば普通の人間に当てはめれば有に1,000歳近く、一般人の規格なら10倍の時間を過ごしてきたわけだ」
ご苦労なことだよ、と九十九は半ば吐き捨てるように呟く。
「つまりは、その辺の呪詛師や呪霊の相手とは一線を画す全く違う化物なわけだ。普通の人間の寿命を持つ我々が手軽に勝てる相手じゃないのさ。
良い例として、呪術界最強と謳われ日本を転覆できるはずの特級である五条悟は封印されてしまった体たらくだ。特級が全員揃っていたなら、即座に撃退できた
かもしれないが、残念ながら相手の方が用意周到綿密な計画を立てていたんだ、先手を取られてしまうのは致し方ないことだ」
「それは・・・いや、仰ることはその通りですけど」
「であれば、特級に至らない君がそこまで心を削って悩む必要は無いさ。むしろ、特級と呼ばれた面々が大いに凹むべき事案だな」
「・・・」
身も蓋もない返しに
は閉口するしかできない。
九十九が言うことは尤もなことで、反論の余地など無い。だが、そういうことではないのだ。
が引っかかっているのはその現状での己の力不足に対する葛藤の取り扱いが如何用にもし難いことだった。
だがそれをわざわざ再度説明しても丸め込まれそうな予想ができたため、消化不良の表情を浮かべている
に九十九は笑った。
「ま、要するに君は優し過ぎるんだよ」
「脈略がありませんけど」
「だから言っただろう、夏油くんと同じなんだよ」
再びのそのフレーズに今度は心臓が軋む。
喉が貼り付いてしまったように、言葉がうまく紡げず
はどうにか反論を絞り出した。
「そ、そんな、わけ・・・」
「彼はね、呪術師の未来を憂いていた」
その当時、一人術師の未来に思い悩みせめぎ合う渦中で唯一その人と言葉を交わした者の言葉は
から続きの言葉を奪った。
「非術者の力無き顔も知らない大勢よりも、顔を知る自分と同じ術師が傷ついて死んでしまうことがその他大勢の身代わりの犠牲となっている。
その現状が許せなかったんだろうな」
「・・・」
「五条悟と同じ時代に生まれた運命なのか、彼は力を持つ側、最強と言わしめた隣に立てる実力者だった。そして、強者だと分かっていたからこそ傷付く同胞を使い捨ての道具にする社会は受け入れ難いものだったんだろうさ」
九十九の言葉に
は握っていた両手から力が抜けていくことが分かった。
今でも鮮明に思い出せる、憔悴したあの人の顔、弱々しい声。
そして、結局自分は何もしない選択をしてしまった。
その果に待っているものは分かっていたはずなのに、あの時は気付かないフリをしてしまった自分の罪は、因果応報の形で返ってきた。
「だから、夏油くんは非術者の犠牲とならないような呪術師だけの未来を選んだ・・・君もさっき同じことを言っていただろう?」
「・・・私は・・・」
違う、と言いたかったのに音にならなかった。
自分とあの人は全然違う。
だってあの人は実力を持っていて、ちゃんと理想を成そうとしていた。だが、自分は違う。
自分は実力の持ち合わせはなく、目指したい場所へたどり着く術がないから駄々をこねているようなものなんだ。
だから・・・同じじゃない。
「対して、五条くんはそんな親友を悪と判じた呪術界を変える未来を選んだわけだが。
結果論になるが、二人の選択はどちらも間違いではないだろう。だが、大事を成そうと規模を大きくすれば、組織に取り込まれ一個人の想いや願いは歪み本当の姿を保ち続けることは容易じゃなくなる。
もう少し時間が許されたなら、また違った未来もあったのかもしれないがすでに起きてしまったことは変えられない。
そして、現状の我々もまた同じだ」
同じじゃないのに・・・
「君は確かに特級という肩書ではない。
だが、君は肩書程度では測れない能力を持っている。そうでなければ、この場に主要な戦力のメンバーを欠く事態に陥って状況はもっと旗色が悪かった。
残っている高専の生徒の多くが君を慕っているし、術師としての能力だって本来なら七海くんと並んでも遜色はないはずだ」
実力不足の自分が僅かでも理想を成そうとしていた者達と同じように歩めている肯定が、酷く胸を打つ。
「買い被りです・・・そういう妙な世辞は止めてください」
「残念だが、私はお世辞というものは口にしない主義だ。何しろ、上層部が嫌いだからね」
自身の反論をにべもなく切り捨てた九十九からの視線に耐えられず、
はその場から腰を上げる。
だが、九十九はそれを許さず逃げようとした手首を引き寄せ、痛みを堪えているような表情の
へずい、と顔を近づけ続けた。
「君が己を許せず自信を持てないなら代わりに言ってあげよう。君は特級・九十九由基が他の代わりは無いほどの逸材だと言わしめた存在だよ」
現在、この国で4人しか存在しないうちの一人が逃げ道を許さず断言する。
あの人と同じ場所に立つその人は、まっすぐと
を見据えて。
偽りはないだろうというのは、これまでの経験が告げていたが、その言葉を素直に受け取れるほど
は自身を許すことができなかった。
「・・・お言葉は有り難いですが、私には過ぎた言葉です」
「ふむ。聞いてた通り自己評価の頑なさはなかなかだね。とはいえ、私は自分の言葉を覆すつもりはないけどね」
挑発的に笑った九十九に
は眉根を寄せるしか反論の術を持たない。
言葉を探すような
だったが、九十九はそれを待たず掴んでいた手を離すと腰を上げた。
「君自身がどう思おうが、周囲からの君の評価は君が思っている以上だ。それは五条くんとは別の意味での高い信頼に他ならない。
言うなれば、君は潤滑油なんだろうな。だからこそ軽率な行動で命を投げることはしないようにすることだけ留め置いてくれ」
そう言った九十九は
の頭にポンと軽く手を置くと、ひらひらと手を振って建物へと戻っていった。
辺りにはこの場に来たときと同じ静寂と、夜闇の涼しさが広がっている。
「はあぁ・・・見透かされてたのかな」
深々と脱力したため息がこぼれた。
九十九からの最後の言葉は自身の奥底で常に願っているものだ。
本心では、渋谷でという薄い期待を抱いていたことは否定できない。
全ては今のこの苦しみから逃れたい公明正大な理由が欲しいんだ。
「ホント・・・どうして特級の方々は私なんかにそういう言葉を投げるんですかね・・・」
膝を抱き寄せた
は苦しげに呟いた。
あんな言葉をかけられる資格はない。
術師として落ちこぼれの部類のはずだ。術式も大したものではなく、呪力だって突出している方ではない。
最も効果的なはずの近接戦も褒められるものではないし、当然、負傷し死にかけたことなんて数えるのも馬鹿らしいくらいしている。
それなのに・・・
『君は私の手を取れる位置に居るんだよ』
『そういうお前だから任せられるよ』
違う、と毎回言い返した。
自分にできることはひどく限られていて、どんな状況でもひっくり返せることはできないから。
それを毎度毎度・・・
「・・・」
しかし、今は立ち止まる時間はない。
あと数時間で夜が明ける。日の出と同時に時間との勝負が始まることになる。
「・・・私にできることを、やるしかない・・・」
そう、術師としての道を歩む選択をしたあの時と同じ。
己が定めた選択を命尽きるまで続けると決めてここまで来た。
続けなければならない。
期待に応える実力があるとは思っていないが、これまで歩んできた道が僅かでもあの人が目指したものと重なるなら、その先で命果てることが生き残った意味がある気がした。
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2025.03.29