衣擦れの音を拾い、硝子は作りかけの報告書の手を止め手近のベッドのカーテンを開いた。
「おう、起きたな。気分は?」
「あ、大丈夫、です・・・」
「そうか。
にしても、今回は随分派手にやらかしたな。お前見つけた伊地知が卒倒するんじゃねーかってくらい血相変えてたぞ」
「・・・」
「ま、外傷は治療済みだ。ひとまず今日は安せ・・・?」
そこまで言っていた硝子だったが、違和感に言葉は尻すぼみとなった。
次いで、離れようとしていた足をくるりと戻しベッドの上で起き上がっている
に迫った。
「おい、
」
「は、はい」
「お前、大丈夫か?」
嫌な予感、という非科学的。だがこの状況において唯一的を得る言葉を硝子は繰り返した。
そして、
「え、と大じょーー」
ーーパシッーー
「!」
の言葉を耳にした瞬間、硝子はそれ以上の言葉を遮るように包帯が巻かれた腕を引いた。
その行動に驚きを隠せない、という『いつも』であればあり得ないその反応に硝子の焦燥はさらに煽られる。
「私が知ってるお前なら、絶対『大丈夫』っていうフレーズは使わないだろ」
「・・・」
「答えろ。私の名前は?」
半ば確信を得ながらも硝子は容赦なく詰問した。
しばらくして返されたのは、普段他人に弱みを見せないはずの相手からの打ちひしがれた表情と弱々しい言葉だった。
「・・・すみません、分かりません」
ーー最後の選択ーー
照葉の柔かい日差しがブラインド越しに射す明るく落ち着いた雰囲気の診療室。
「まぁ、検査結果から見るに頭部外傷による外傷性逆行健忘だろうな」
カルテを片手に偉そうに告げる目の前の男に、所在なさげに不安な面持ちの
の隣、対面するように座っていた付き添いの硝子は呆れと嫌悪を隠すことなくツッコミ返した。
「なんで外科のお前が診断伝えてるんだよ」
「オレは優秀なんで脳神経外科もお手のモン」
「専門じゃないだろうが」
「だから専門は控えてるんだろ」
専門を控えさせるな。
の従兄弟である孝徳を机に沈め、呻きを肘で押さえつけながら本当の専門医へ硝子が質した。
「そんで、回復の見込みは?」
「現時点ではなんとも申し上げられません。そちらもDr.ならお話が早いと思いますので端的に述べさせていただければこの症例については個人差・外傷の重症度によって大きく変わってきます。
軽度なら数週間、重症なら数年ともいわれますから」
「あー、やっぱりな。ってことはその間は療養一択しかないな」
「そうですね。多くの場合、時間の経過と共に自然に回復することが期待できます。検査の結果、日常生活への支障は認められませんでしたから普段の生活を行なう分には入院の必要もありません。
今は一般的なことしか申し上げられず申し訳ありませんが」
非術者ならその選択で問題はない。
が、記憶を失っているとはいえ術師である以上、呪詛師界隈からそれなりに目をつけられている立場を考えれば、自宅に戻らせるという選択肢は消える。
硝子は頭痛を吐き出すような重いため息を吐いた。
「はぁ・・・分かった、世話になったな」
「おう、いつでも来やがれ」
「引っ込めにわかが」
「ぐえっ」
「あの、最後に一つだけいいでしょうか?」
壁に孝徳を圧し潰している硝子が頷き先を促せば、それまで一言も口を挟めなかった
の前に専門医が膝を折って座った。
「
さん」
「は、はい」
「あなたが置かれている現状はとても不安でしょう。安心しろという無責任なことを医者の立場では言えません。
ただ、今の症状は十分な休息をとることで回復する可能性が高いことも事実です。ですから、あまりご自分を追い込まずにリラックスすること、信頼できる方とコミュニケーションを取るのもいいでしょう。
どうか無理せず、焦らずゆっくりと治しましょう。いいですね?」
「はい・・・あの、お世話になりました」
ずっと強張っていた
の表情がわずかにほっとしたように緩んだ。
その様子を見ていた硝子は肘を孝徳の頬に埋めながら感心したように呟いた。
「まともな医者みたいだな」
「おい、オレだってそうだっつーの」
「門外漢だろうが」
「優秀な後輩を持った人徳だっーー」
「お二方」
笑顔の割に目が全く笑ていない鋭利な視線が硝子と孝徳に刺さった。
「患者さんの不安を煽るような発言は控えてくださいね」
「うぃっす」
「はいっす」
拒否を許さぬ圧に両者は不動直立で敬礼を返すのだった。
その後、
と共に高専に戻った硝子は、医務室へ寄ったあと報告のため学長室へ訪れていた。
「とまぁ、診断結果については以上です」
この場に至る数時間前のやりとりを報告すれば、目を覚ました直後から事情を把握していた正道は目に見えて安心した様子を見せた。
「うむ、ひとまず命に別状が無かったのは何よりだ」
「その代償は割に合わない感じですけどね」
一転して苦々し気に応じた硝子に正道は表情を改める。
「
が救助した非術者の方はどうだ?」
「そっちはほぼ無傷です。病院で手当受けてその日のうちに退院できてましたし」
「
の症状だが、呪いの可能性は無いんだな」
「えぇ、それは間違いなく。精密検査からも外傷要因ってことははっきりしてますから」
「ならば残る問題は・・・」
腕を組んだ正道は難しい顔で天を仰ぐ。
そう、この事態を誰まで伝えるか、という一点の問題が残っていた。
というのもこの事実を知る範囲は現時点では相当限られている。
単なる負傷ならバレたとしても問題はない。バレたところで当人が心配されるだけで終わる。
だが、今回は事情が違う。
今回の事情がバレれば面倒と騒ぎが起きることが容易に想像がつく。
何しろ、人格破綻の集まりが大多数の術師ばかりの世界で
の人望は相当高いのだ。(当人は否定しているが)
「伊地知はもう知ってますけど、一応、口外するなとは言ってるので決めるのは厄介とクズの方針だけです」
「ふむ・・・悟の出張は明後日までだったな」
「七海の奴は今日の夜には東京に戻るらしいので、明日の昼には高専に顔出すんじゃないですか?」
「学生には・・・まぁ、隠しようがないな。高専内に留まれば遅かれ早かれ気付かれるだろう」
「「・・・」」
短い応酬ですでに話し合いの意味がなくなってしまい、正道と硝子は同時にため息を重ねた。
「ちなみに、悟が戻るまでに記憶が戻る可能性はあるか?」
「相当低いでしょうね。下手すれば戻らない可能性だってあるんですから」
「やはりそうか・・・」
覚悟を決めたように正道は大きく息を吐くと、硝子に視線を戻し告げた。
「では、補助監督には療養のため高専内に留まることだけ周知するように」
「他の術師連中には聞かれたら答えて口外しない方向に、ってことですね」
「あぁ、頼む」
「りょーかいしました」
気安い調子で応じながら硝子は痛みそうな米神を揉む。
その様子を椅子に沈み込んだまま見上げていた正道は口を開いた。
「硝子」
「はい?」
「
の様子は、どうだ?」
同僚の心配には見せない顔。
過去、あわやの死線の手前で救った経緯と、かつ幼少だったことも手伝って正道と
の関係は他の者よりだいぶ身内に近い。
その事情を知る硝子は、取り繕うことなくことなく詳細を告げる。
「まー、なんていうか・・・妙に落ち着いてはいますよ。記憶が無い分、キョドってたりはしてますけど取り乱した反応が無いのが逆にちょっと目を離せないっていう気もあるにはあるんですけど」
「・・・そうか、しばらく世話をかける」
「学長」
「む?」
「仕事が一段落したらあいつと話してやってくださいよ。記憶が戻るには信頼できる人とのコミュニケーションが助けになるって専門医も言ってましたから」
硝子の言葉にサングラス越しに目を見張った正道は、ふっと口元を緩めいつもの芯が通った声で応じた。
「・・・あぁ、そうしよう」
Next
Back
2026.03.31