「あ、あの七海術師・・・」
「お気になさらず」
「は、はぁ・・・ですが・・・」
予想された言葉はにべもなく両断された。
京都の補助監督が言い淀むのも無理はない。
何しろこれから緊迫感ある打合せをしようという場に、明らかにその雰囲気をぶち壊している者が一名。
更に言うなら、それは七海の隣に居る。
いや、居るというのも語弊があるか。
正確には、隣の七海の太い腕で首元をホールドされている。
付け加えれば、両手首を後ろで拘束された上に口元には呪符が貼られ反論を音として出すことすら叶わない。
が、その視線だけは今にも触れた者を殺さんばかりの呪いを、いや殺気立っていた。
「その・・・これから一大事に備える訳ですから、流石にそのままというのは」
「いいえ、この人はこのままで」
「いやぁ、しかし・・・」
「ん"ーん"ん"ん"!!」
「学長命令ですので」
「ん"ん"ん"!!」
「打合せの迷惑です、静かにしなさい」
ーー戦い前夜ーー
その後、打ち合わせという名の長い作戦会議は終了し、各術師は翌日の行動開始時間まで解散となった。
出張という形で足を運んでいる建人はもう一人を連行するような形であてがわれた部屋に戻ると、東京へ報告を済ませ電話を切った頃には外はすでに日が沈み、藍色のカーテンが深みを増していた。
そんな薄暗くなりつつある窓辺に陣取り、腕と足を組んだままこちらと視線を合わせようとしない一名。
部屋に戻ってからというもの、拘束元の呪符を外しても未だ一言も言葉を発することなく、無言の横顔からでも分かるほど怒り冷めやらぬ様子が見て取れたが、建人は落ち着いた声音で声をかけた。
「少しは頭が冷えましたか?」
しかし、そんな気遣う言葉に相手からの反応は無。
つーーーん、とまるで幼児がへそを曲げているかのように建人の方を見ようとしないに、普段ならそんなことをしないことを知ってか、嘆息と共に苦言がこぼれた。
「まったく、貴女はもう少し大人かと思ったんですが」
「先に大人気ない対応をしたのは向こうです」
「やり返しては同類でしょう」
やっと返されたぶっきらぼうな返答に建人は呆れ声を返すしかない。
普段ならここまで頑なに、それこそ某迷惑の筆頭術師のような面倒な態度を取ることはないのを知ってか建人は名を呼んだ。
「さん」
「・・・」
「ふぅー・・・」
なおも無反応を決め込むに建人は大きくため息をつくと、問答を続けるのを早々に打ち切り実力行使で窓の外を見る相手の顎に手をかけ強制的に視線を向けさせた。
「!」
「私と話す時くらいはこっちを見なさい」
「・・・八つ当たりしたく無いんですが」
「いっそ八つ当たりしてくれた方が気が楽ですよ」
建人の言葉に口端がこれでもかと下がっていただったが、不満顔はあっという間に詫びへと塗り変わる。
その様子に怪訝さを見せた建人へ小さな呟きが返された。
「すみませんでした」
「何がです?」
「本来なら、七海さんは東京に残るはずだったでしょう」
「貴女のせいだとでも?」
「事実、そうじゃないですか」
間髪入れないからの返答。
俯いてしまったから手を離した建人は対面のソファーへと腰を下ろす。
答えを返すのは簡単だったが、直接的な表現を避け話しを逸らすように建人は言葉を選んだ。
「力配分を考えての上の決定ですよ」
「私が東京を外された上に監視下に置く必要も、ですね」
「・・・」
見透かされた解を告げられ、事実なだけに否定できず建人は黙した。
はすでに承知しているのか、自身の事よりも煽りを喰らった建人を思ってか、不服さを募らせるように毒を吐いた。
「別に今更、上から信用されようとは思ってませんが、七海さんまで貧乏くじを引くとは」
「あの人が高専に来た日、貴女はあの場には居なかった」
「・・・ええ」
暗に避けていた宣戦布告の日を示された言葉にはやや遅れて同意を返す。
まるで不在を狙ったようにやってきた、と上層部は判断し、あまつさえその後の行動を監視されていた。
そしてその監視を行っていたのは他でもない目の前の男だ。
的外れなその行動には呆れるしかないが、それは別として懸念すべき点があるのも事実。
「高専側の情報が漏れていた可能性があります」
「私がスパイだと?」
「そんな事は言ってません、ただあの人と貴女の関係が上に邪推されているのは事実です。
今は大人しく従っておく方が良い」
尤もらしいことを言えば後に返されたのは鼻先で笑い飛ばされた失笑のみ。
そこで会話はふつりと途切れる。
だが互いに口をつぐんでしばらく経った頃、再び囁くような声が響いた。
「・・・どんな、様子でしたか?」
前置きなく、下手をすれば聞き逃しそうな小さな問い。
二人だけとはいえ、独り言ではないだろうことを察した建人はそうですね、とその時を思い浮かべて答えた。
「昔より呪力は増していましたね、何より強力な呪詛師が控えていました。
戦力を二分しても我々に勝てるという自信の表れか、または別の目的があるのか。
昔と変わらず読めない人でしたよ」
「そうですか・・・」
当たり障りのない回答。
これが補助監督と術師の普通のやり取りなら問題はなかっただろう。
だが長い付き合いでは、相手が求めている答えはそんな表面上のものではないことはすぐに分かり建人は何度目か分からない、深々としたため息を吐いた。
「ふぅー・・・」
「?」
「そういう事ではないのでしょう?」
「はい?」
「私は聞かれた事しか答えられませんよ、貴女の心中を察することは・・・その資格はありません」
「そんなことーーっ」
内心を読まれたその返答に反論しようと咄嗟に顔を上げてしまっただったが、すぐに俯きに戻った。
僅かの間で見えてしまった、痛みを堪えるようなぐっと唇を噛んだ表情。
その表情の意味は知っている。
だが、両者は口にしない。
それが何と呼ばれる感情かを知りつつも名付けることはしない。
俯いてしまっているため建人からの表情は見えない。
しかし、唯一見える口元は何かを言おうとするも、思い留まるように再び閉じられるを繰り返す。
その後、どの言葉も音となることがなかったが、ようやく弱々しい声が耳に届いた。
「・・・元気そう、でしたか?」
たった一言。
それすら言葉にすることを躊躇うような声音。
まるで幼子が叱責に怯えるように背を丸めるに建人はどう答えるべきか僅かの間に逡巡した。
しかし、自身に答えられる答えは決まりきっていたこともあって、建人ははっきりと返答を返した。
「ええ」
その瞬間、まるで全身の緊張を解いたように深々としたため息が響く。
「はあぁ・・・そう、ですか」
安堵が滲む呟き。
それは明日、死線に臨む者としては褒められるものではなく、それ以上に確認した事実で満足したような錯覚を覚える。
表情を曇らせた建人が口を開きかけた、その時。
「七海さん」
出鼻を挫くように落ち着いた声音のがゆっくりと建人に頭を下げた。
「ありがとうございます」
礼と共に深々と下げられ、建人の表情は渋さが濃くなる。
そして、この時が来る前々からから思っていたことを問わずにはいられなかった。
「さん」
「何ですか?」
「明日はーー」
「戦いますよ」
しかし、建人の言葉を予想していたのかは遮るように言い切った。
顔を上げたの表情には不安を抱かせる感情はなく、すでに術師として覚悟を固めた頼もしい戦友の姿。
「例え夏油さんが目の前に立ったとしてもです」
「・・・」
「ま、もしそうなったら結果は見えてますけどね」
「そうはさせません」
即座に言い返した建人にはきょとんと目を丸める。
一方、反射的だったのか自身の言葉にやや面食らったような建人は居住まいを正すように一つ咳払いをすると、今度はゆっくりと言葉を紡いだ。
「私も伊達に今まで遊んでいた訳ではありませんから」
「七海さんがそう言うなら安心です」
建人の言葉に術師から、普段の柔らかい表現に戻ったは微笑を浮かべる。
翌日に控えるのは命の奪い合い。
彼の人を知る二人の術師の心境は他の術師と比べ複雑なものだった。
きっとかつてその人の隣で肩を並べていた東京に居る先輩の一人もそうだろう。
いや、親友であっただけにきっとその心中は簡単に推しはかれない。
だが、間違いないのはきっと人がたくさん死ぬ。
どうしてこうなったのか、後悔は尽きずとも呪術師と呪詛師として対峙してしまった以上、互いの意地を貫く為には戦うしかない。
「さん」
「はい?」
「・・・」
続く言葉を黙した建人には首を傾げる。
だが、思い悩むこの仕草は口にする言葉は決まっていても、言うべきかを迷っていることだというのを長い付き合いで知っていた。
そしてきっと口にしたいだろう言葉は予想ができ、その言葉は言わないはずだろうことも。
「七海さん」
「?」
「明日はベストを尽くしましょうね」
負の感情は呪いへ転じる。
それが『願い』であったとしても、強い感情は下手をすれば『呪い』に姿を変えてしまう。
それも酷い歪みを持った強力な呪いに。
それが分かっているからこそ、両者は安易に言葉にできない。
『死なないで欲しい』
身近な人を既に喪っているからこそ、残された側の痛みを知っている。
呪術師に後悔のない死は訪れない。
だからこそ・・・
「当然です。仕事は手早く済ませます」
「あはは、流石です」
「では明日に備えて美味しいものを食べに行きますよ」
「そうですね。京都まで来たんですから美味しい京料理を堪能しましょうか」
ただ願わくば、明日を乗り越えた先に訪れるものが悲しいものだけにならないことを祈るばかりだった。
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2024.01.12