身体が重い。
筋肉痛とは違う、嫌な感じの重さだ。
何より動かそうとしても緩慢な動きしかできないことが苛立ちを募らせる。
だが、少しずつでも動かないとこのままでは遅刻してしまう。
「どこ行く?」
起き上がり、のろのろとしながらもベッドから離れようとするの耳に嗜める声が響く。
それに視線を返さずは身体を引きずるようにしながら、いつもは数歩の、しかし今は遥か遠くの距離のクローゼットに向いた。
「任、務・・・はいって、た」
「体調も自覚できないくせに行けるわけないだろ。
今日は黙って休め」
「ふわふわ、するだけです。薬、飲めば熱なーー」
的確な診断を下す相手の正論をは雑に聞き流す。
そしてベッドから抜け出そうとした瞬間、肩を掴まれ力尽くで倒された。
ーードサッーー
「っ!」
「熱が出てる時点で休みだよ」
ーー上書き保存ーー
軋んだスプリングの音が消えれば、急に視界が画像を結んだ気がした。
覗き込んでいたのは予想していた者ではない。
というか、なぜこの人がこにいるのか混乱したは驚き顔を崩せぬまま尋ねた。
「なん、で・・・え?夏油せんぱ・・・」
「いや。逆に誰だと思ってたんだい?」
「硝子、先輩かと・・・」
「声も判別できてない高熱なんだよ。少しは自覚したらどうだい」
ベッドに戻され毛布も掛けられる。
相手を間違えた挙げ句、先輩の手を煩わせた上、自身の体調管理もなってない事実が情けなく、じんわりと涙が滲んだ。
「ごめ、わくを・・・」
「今はいいから、ちゃんと休むんだよ」
諭すような言葉に頷きと共に大きなため息を返す。
そして傑の言葉に目を背けていた事実を突きつけられたことで、今の状態を自覚してしまいさらに身体は重さを増した気がした。
呼吸が荒いを気遣わし気に見下ろした傑は、事前に買ってきたらしいビニール袋からスポーツドリンクを取り出す。
「食事は・・・無理そうか。
水分補給だけはした方がいいね。起きれるかい?」
「はい・・・」
そう返しただったが、緩慢すぎる動きをする後輩を見てられなかった傑はすぐさま背中に腕を回し抱き起こした。
「よっと。無理ならそう言っていいよ」
「・・・すみ、ませ」
起こされても自重を支えられないようなは傑に寄りかかるように上半身が傾ぐ。
寝巻きの薄い布越しに伝わる、なかなか人間相手では経験しない高温に傑の表情は曇った。
「熱、かなり高いね。何度くらいあるんだい?」
「・・・」
「ちゃん?」
「きもち、いい・・・」
額に当てられた手に掠れた声が返される。
「夏油さん、手・・・なおってく、みたい・・・」
「君の熱が高すぎるだけだよ」
「こ、なの・・・くすり、飲めば・・・」
「何も食べてないのに、それは・・・」
「だい、じょーぶですから」
辛うじて手を差し出してくるに傑の表情はさらに曇る。
まるでそれを持っているのを初めから知っていたような口ぶりに、傑は仕方なさそうにの前にプラスチックケースに入った小さな錠剤を出した。
「硝子から渡されたのはコレだけど」
「ありがとう、ございます・・・」
「やっぱり、ゼリーかアイスとかでも・・・」
「・・・や」
ふるふると首振る仕草は普段の大人びた淡々とした様子からは一線を画しているためか、歳下とは分かってはいてもさらに幼い印象を抱かせた。
(「子供みたいだ・・・」)
そんな傑の心情を知ることなく、錠剤をスポーツドリンクで流し込んだは再びベッドへと倒れるように横になる。
飲みかけのペットボトルを受け取り冷蔵庫に戻すと、傑は冷えピタを手に戻り未だにぐったりとしているの額に貼り付けた。
「じゃ、一旦、休んで。
携帯は枕元にあるからいつでも呼んでいいからね」
「ふふ、げとーせんぱい、いつもより優しいですね」
「病人相手なんだから普通でしょ」
の反応に怪訝な様子で傑は返すと、熱で朦朧としてるのか途切れがちな言葉はだんだんと小さくなっていった。
「そう、ったかな・・・こんな、やさし・・・」
どれほどの時間が経っただろうか。
外はすでに薄暗く、かなり長い時間眠っていたことが分かった。
まだ熱が残っているのは分かったが、朝に比べだいぶ身体の調子は戻ったのが分かった。
だが、長時間横になっていたことと食事を取っていない影響も同時に感じる。
額に手の甲を当てたは長く息を吐いた。
「はあぁ、だるっ・・・」
「目が覚めた?」
「!」
この場で聞こえるはずのない、あり得ない声に身動きが止まる。
そして首をゆっくりと巡らせてみれば、ベッド横に居る幻覚にしてはやけにはっきりとした存在感のその人とばっちりと視線が合った。
「え・・・なん、え?」
「覚えてない?」
朧げな記憶が戻るも、だんだんと自身の状況を理解したは口元押さえた。
「いや、なんで・・・まだ、ここに」
「ちゃんが心細そうだったからね」
こちらの心情とは裏腹に焦る様子を見せない傑から距離を取ろうとベッドから抜け出そうとするも、易々との寝巻きの裾は確保された。
「こらこら、まだ動くのはダメだよ」
「げ、夏油先輩こそ、は、早く出て行ってください」
「付きっきりで看病していた相手に酷い言い草だね」
「な!?なんて事してくれたんですか!」
「硝子から任されたしね」
「そんなはず、ないですよ」
「本当なんだけどな」
まだ熱が残る頭ではどう返答しても押し問答となるばかりで埒があかない。
というか、健康体でも勝てない相手に、病の身では余計に勝てるはずもなく。
は無駄とは分かってもなけなしの体力で距離を取ろうと悪あがきを続けつつ、口元押さえながら反論した。
「硝子先輩、正確にはなんて言ったんですか?」
「だからーー」
「必要最小限だけやって、さっさと出てけって言ったよな?」
地を這うような低い声が割り入った。
二人が視線を向ければ、入り口に立っていたのはマスク姿の硝子。
求めていた人物と求めていた答えにやっぱりか、とばかりなは項垂れる。
そして一人置いてけぼりの傑を横に硝子は部屋へと入るとマスク越しでも分かるほど不機嫌顔で悪態を吐いた。
「ったく、五条じゃ役に立たないだろうから少しはマシだと思ったお前に任せてもこれかよ」
「硝子も随分だね。それで何を怒ってるんだい?」
「どれくらいだ?」
硝子からの唐突な問いを理解できない傑は当然、疑問符を返した。
「は?」
「恐らく・・・終日かと」
「はぁ・・・」
「話が見えないんだけど」
「・・・はぁ」
話についていけない傑に代わり、が答えれば頭痛がするのか額を押さえた硝子はと交互に深々とため息を吐いた。
そして、
「夏油」
「なんーー」
ーースッパーーーンッ!ーー
硝子は手にしていたクリップボードで傑の後頭部を殴り飛ばした。
硬プラスチック製のためか、なかなかに小気味のいい音を上げたそこを押さえた傑は猛然と抗議の声を上げる。
「痛っ!硝子、いきなり何するんだ!」
「こっちのセリフだ。余っ計な仕事増やしやがって」
「は?だから意味が分からないよ。私はちゃんと看病しただろ」
「人の話し聞いて無かっただろうが、クソッ。
おい、こいつをこの部屋から出すなよ」
「分かりました、行ってらっしゃいです」
掠れ声ながらもちゃんとやりとりを終えたの見送りで硝子は部屋を出て行った。
一方、不満全開顔の傑はまだ痛むのか頭をさすりながら唇を尖らせる。
「何だっていうんだ?」
「・・・」
「ちゃん、君は事情を知ってるのかい?」
「あのですね、夏油先輩・・・」
ぐったりと脱力したは、言いにくそうながらもどうにか言葉を探しながら続ける。
「看病された身で大変心苦しんですけど、私のコレ、風邪じゃなくてインフルエンザなんですよ」
「・・・」
「とはいえ、最初は疑いありって話になったので硝子さんが検査してくれていたんです」
「・・・え」
「あ、インフルエンザがどういうものかは分かってる反応で助かります」
固まる先輩を横に、は今更遅いだろうが引き出しにあったマスクをつける。
その後、回復したのか傑はすぐさま声を上げた。
「待ってくれ。
インフルエンザなのに任務に行こうとしてたのかい?」
「え?あー・・・してましたか?」
「強情なくらいね」
「それは・・・すみませんでした」
マスクから除く目元が申し訳なさそうに下がった。
午前中よりは成立する会話のキャッチボール、いつもと変わらないやりとりが戻ったことで同級生からの仕打ちの不機嫌さが薄れた傑は緩めた笑みを浮かべる。
「少しは落ち着いたようだね」
「硝子先輩からの薬はインフルエンザ専用のですからね」
「うん、普段の調子に戻ってよかったよ」
「え"・・・そんなに豹変してました?」
「とはいえ、まだ熱はあるようだけどね」
大きな手が目元まで隠される。
それは朧げな記憶だったものを明瞭なものへと変えていく。
気持ちいいと感じてしまうほどまだ熱はあるのだという自覚症状を持ちながらもは大したことはないとばかりに言い返した。
「・・・ウィルスが消えればすぐに引きます」
「じゃ、そのためにも今度はちゃんと食事取ってもらおうか」
「あ、冷蔵庫には何も・・・」
「大丈夫だよ」
そう言った傑はの前に大きな袋を広げて見せた。
「看病しに来たって言っただろ?」
「・・・」
「どんなものが食べれる状態か分からなかったから、とりあえずゼリーを買ったんだ。
白桃、みかん、フルーツミックス。この辺りならどれかなら食べれるだろ?」
なるほど。
先輩である硝子の言葉を借りるなら、確かに『役に立つ』というのはこういうことだろう。
残るもう一人の先輩である目の前の人物の親友では、こういうことはできない。
それどころか、病人であるこちらにもてなしを要求してきそうだ。
後輩想いで隔てなく弱者に手を差し伸べる。
強く優しい尊敬すべきその人を独占してしまっている自分の今の状況に、まるで陽だまりに包まれるような幸せを感じる。
そんなの内心を知らない傑は黙ってしまった後輩に首を傾げた。
「?どうかしーー」
「ふふ・・・」
気付いたら小さく笑っていた。
術師としてすでに殺伐とした任務はいくつかこなしている。
この先もきっとそういう連続なのだろうと思っていた。
それなのにこんな穏やかと言えるような幸せだと感じてしまえる時間を過ごせるとは思っても見なかった。
「笑う要素が分からないけど?」
「すみません・・・母親ってこんな感じなのかなーって。甲斐甲斐しくてウケました」
「君までそんなこと言うのは勘弁してくれ」
「ふふ。いえ、本当に・・・ありがたいです」
本心をはぐらかすようにからかってみれば、傑からは苦虫を噛み潰したような表情が返される。
もう記憶にはない、幼い頃にあったはずの遠い記憶は今はただ暗い重しとなって絡みついていた。
それが少しずつ穏やかな色に塗り替えられていく。
じんわりと暖かくなる胸の内に、は無意識に微笑み返した。
「ありがとうございます、夏油先輩」
ーー不可抗力
夏「・・・」
「どうされました?」
夏「いや・・・今度から熱が出たら硝子か私を呼ぶんだよ」
「え、なんでですか?」
夏「なんでも」
「せ、説明にーー」
夏「分かったね?」
「は、はいです・・・」
夏(「あんな無防備で隙だらけの顔、他のヤツに見せられーー」)
家「んなやましい事考えてんのはお前だけだMaxクズ」
夏「!?」
「え、何がやましいんですか?」
家「そんなん、お前のーー」
夏「硝子っ!!!」
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2024.3.12