ーー苦味は過去として、傷は彩に変わりーー
注文したビールが届いたことで、ひとまずグラスを打ち鳴らし最初の一口に口を付けた。
炭酸特有のジリジリと喉を撫でる感触と鼻に抜ける苦味に、仕事終わり後の感嘆の一言が重なり思わず互いに小さく笑った。
そして、もう一人の待ち人が来るまでに軽い品を注文しようとメニューを眺めていた。
その時、
「私はあなたに謝らないといけません」
「・・・え?何かありましたっけ?」
そんな事をされる覚えがない。
グラスを片手にメニューに視線を落としていたが顔を上げれば、神妙な表情の建人はさらに続けた。
「私は逃げただけでした。
同じ傷を負ったあの時も、私は傷の舐め合いがしたかっただけかもしれません」
「・・・」
語られる青春時代の苦い傷にも思わず視線を伏せた。
強く握る建人の拳から筋肉が軋む音が立つ。
そんなに握りしめてしまったら痛めてしまう。
(「酔ってる・・・ワケないか。まだ一杯目だし。
硝子さんの話だと、結構飲めるって話だったしな」)
となれば、酒の力を借りてぶっちゃけてみた、という線か。
確かに、シラフで話すには互いに傷となった出来事だ。
本心を言えばすぐに建人の手を止めたいところだったが、今止めても同じことをしそうな気がしたは言葉を探しながらグラスを一度傾けた。
「七海さん、知ってますか?」
口を湿らせたは、自分のグラスを横に置くと両手を組む建人の手を取った。
「『傷の舐め合い』って、第三者の視点からみられた言葉なんですけど、元々の語源は動物の習性からきてるらしいです。
傷を負った動物はお互いに傷を舐めて治そうとする。
それって当人同士で協力して、不遇な境遇から抜け出そうとしているってことじゃないですか」
固く握る七海の拳を両手で包んだは、閉ざされた心を溶かすようにゆっくりと開かせる。
予想通り、握力で傷付いた両手に滲む赤。
大した傷ではないのは確かだったが、そのままにしておくことはできずは自傷に反転術式をかけていく。
あの時には持ち得なかった、仲間を失い地獄を歩くと決めて新たに得た力だ。
「私は、あの時七海さんと生き残れたから、こうして今があると思っています」
「・・・」
「それに、あの時の私達はまだ10代半ばの子供ですよ?
傷なんて負ったら一人でなんて立てる訳ないじゃないですか」
浅い傷はすぐに塞がる。
心の傷はそう簡単じゃ無いのは分かっているが、共に同じ傷を抱えてきた者同士だからこそ進める道があるはずだ。
小さく息を吐いたは、視線を上げると表情が冴えない建人へふわりと笑い返した。
「昔も今も、持ちつ持たれつだと私は思ってますよ。
何より七海さんの手は私よりたくさんの命を助けられる手ですから大事にしてください」
建人の手を両手で包み、恥ずかしげもなく断言するに顔を隠せない建人は照れ隠しなのかふい、と横を向いて呟いた。
「・・・あなたは強いですね」
「そんな事ないですよ。
言ったじゃないですか、七海さんと生き残れたからこそだって。
それに30くらいまでは女性の方が精神年齢高いらしいので、期間限定『オトナの特権』です」
からかうようにそう言えば、建人の両手を解放したはグラスに残ったビールを一気に空けた。
「それに私だってどうしようもないことを散々八つ当たりしてきましたよ」
自身の無力さに蹲り、自分を追い込んでも結局、周りに心配をかけただけで何もできなくて、終いには慰められる始末だった。
心配するな、何とかする、と言われた。
でも結局、そう言ってくれたその人はさらに遠い手の届かないところへ行ってしまった。
あの人に負担をかけてしまったからだろうかと、何度不毛な議論を抱いただろうか。
「だから・・・」
もう誰かを頼るのではなく、自身の力で立つと決めた。
自分達と同じ思いをしないように、生徒には出来うる限り力を尽くしてきた。
それが己のエゴだとしても、呪術師として矛盾した行いだとしても、これが自身が決めた道だ。
「だから、過去は傷じゃなくて糧にして私達にできることを精一杯やりましょうよ」
ーー来ない・・・
「それにしても伊地知くん遅いですね」
七「あの人に捕まっているのでは?」
「あー、あり得そう・・・仕方ない、一応電話入れます」
七「あの人が近くにいるなら放って置けとーー」
五「呼んだ?」
「・・・」
七「・・・」
伊「ああ!やっぱりここに居た!五条さん!まだ学長との打ち合わせが!」
五「んなもんブッチでしょ。
よし!デザート全制覇しようぜ〜」
七「仕事してください」
「伊地知くんを困らせないでください」
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2021.12.01