ーー北海道出張ーー
ーーぱちっーー
(「しまった!寝落ーー」)
一気に意識が覚醒し飛び起きてみれば、ベッドのスプリングが軋んだ音を立てたことで身動きを止めた。
直前までソファーに居た記憶が蘇るも、首を巡らせてみれば記憶したその場所には先にシャワーを浴びに行ったはずの建人が静かな寝息を立てていた。
どう考えても寝こけた自身を運んでくれたその人が、己の主張を通した、ということだろう。
静かにベッドから抜け出した
は、ソファーの脇へちょこんと座り、普段はあまりお目にかかれない整った顔の先輩をまじまじと見つめた。
(「カッコいい紳士が過ぎるな・・・」)
視線を移せば自身の携帯は充電され、出しっぱなしだった書類はひとまとめにされテーブルの中央に置かれている。
どれもこれもやってくれたのは誰かなど、言うべくもない。
本来なら、サポート役だったはずの自分がやるべき雑務なのに、真っ先に寝落ちた上に先輩の手を煩わせてしまった。
重なった失態の多くに自己嫌悪に沈む
は、座り込んだ腕に顔を押し付け深々と長いため息を吐いた。
「・・・これ以上、惚れたらどうしてくれるんですか」
囁くような独白は、あっという間に滲んで消えていった。
心の内に秘めると決めた想い。
実力差を自覚してからは、殊更にそうしてきた。
それを面白がって茶化してくる約一名には毎度辟易するが、きっと向こうも『先輩後輩としての好意』以上とは思っていないはずだ。
それでいいし、そうあるべきだ。
何しろこれ以上の喪失をこの人に与えること、きっと自分にはそれが一番許せない。
無論、肩を並べていた亡き先輩と自分自身が同じ位置に居るなどと驕ってはいないが、心に負う傷なんて小さい方がいいに決まっている。
だから術師としての実力不足の自分は、大切な人のために一歩引いた場所で自身ができることを精一杯やると決めたのだ。
「はぁ・・・」
ダメ押しのため息を吐いた
は顔を上げた。
現在、午前4時。
日の出までまだ余裕があり、身支度を整えても二度寝する時間は十分にある時間だ。
(「シャワー浴びよ・・・」)
そう決めた
は立ち上がり、ずり落ちていた建人のリネンを掛け直すとバスルームへとゆっくりと歩き出すのだった。
翌朝、午前8時。
二人は朝食を取るべくホテルのレストランへ向かっていた。
と、
「そういえば、今朝はどこへ行っていたんですか?」
「え・・・」
並んで歩いていた隣からの出し抜けの問いに間の抜けた声が上がる。
まさか気付かれていたとは思っていなかったための予想外の問いに答えに窮している
へさらに建人は続けた。
「しばらく部屋を空けていたでしょう」
「あー・・・お気付きでしたか?」
「気付いていたから聞いているんです」
ご尤もです。
実は、シャワーを浴びたはいいが二度寝をする気になれず、かといってそのまま部屋に留まって何もしないというのも時間を持て余すことが目に見えていたので
外へ出ていたのだった。
決して顔を合わせづらいからという理由ではない。
それに任務でも、プライベートでは尚更に訪れない地である北海道。
早朝故に人通りは少なく好ましい静けさの中、肌を撫でる空気は東京で感じるそれと質が違った爽やかな時間を過ごすことができた。
そう、あくまでそういう面白みもない理由で外に出ていただけだ。
決して後ろめたい気持ちが理由ではないため、
は素直に白状した。
「少し目が冴えたので、ホテルの近くを散歩していたんです」
「それだけですか?」
「?はい、それだけですけど・・・え、これ何を疑われているんですか?」
「まさか激務続きだったというのに、この期に及んでトレーニングなんてしていないでしょうね」
「いやいや、流石に出張中にはやりませんよ」
「そう願いたいものです」
「七海さんの中で私がそんな真面目なんてやめてくださいよー」
妙なイメージを持たれていたんだな、という認識を得てレストランホールへと到着する。
雑談を交えながら朝食を済ませると二人はこれからのスケジュール確認のため、手元のスマホに目を落とした。
「今日の予定は、昼便の飛行機で高専に戻って報告。その後、恐らくそのまま解散という流れですかね」
「でしょうね。任務が立て込んでいるという連絡は無いので、追加任務もないでしょうから自宅に帰ったらゆっくり休んでください」
「了解です、お母さん」
「引っ叩きますよ」
軽口を交わし、食後のコーヒーでも飲もうかと思った矢先。
建人の携帯に新たなメッセージの着信音が上がったことに気付いた
は席を立った。
「七海さん、コーヒーで良いですか?」
「はい、お願いします」
スマホを確認する建人を残し、
は二人分のコーヒーを取りに歩き出す。
しばらくして、両手にコーヒーを持った
が建人へと片方を差し出した。
「お待たせしました」
「ありがとうごーー!」
と、指が触れた瞬間、建人の手からカップが離れそのまま重力に引かれて床へと自由落下を開始する。
「っと!」
ーーパシッ!ーー
だが、
は持ち前の動体視力で空中で危なげなくカップをキャッチした。
黒い水面は僅かに揺れ、しばらくして静かになる。
床に落とさず済んだことで、
はホッとしたように小さくて息を吐いた。
「わー、ギリギリセーフ。七海さん、大丈夫でしたか?」
「・・・」
「七海さん?」
「・・・・・・」
「あの七海さん、どこか具合でも悪いんですか?」
「失礼、
さん火傷は?」
「大丈夫です。それより体調が悪いなら薬をーー」
ーーパシッーー
額の熱を計とうとした
の手首を建人の手が掴み、それ以上の行動を封じた。
「問題ありません」
「でも、少し顔がーー」
「問題ありません」
「そ、そうですか」
頑として譲らない建人に、たじろいだ
だったが意思疎通が問題なく取れていることでそれ以上追求を深めることなく話を打ち切った。
その後、当たり障りのない会話を交わし、部屋へと戻り荷物を手にルームキーを返却すべく
はレセプションへ最後の手続きを進めた。
「チェックアウトお願いします」
「かしこまりました、確認させていただきます」
鍵を受け取ったホテルマンが手元のPCを操作し内容を確認していく。
と、なんとはなしにふと視線を移せばエントランス付近でこちらを待つ建人の立ち姿。
本当に、どんな背景になっても絵になる人だ。
今更だが数日の間、こんな人と肩を並べている事実に改めて気恥ずかしいやら居心地が悪いやら。
学生以来に思い返される懐かしい感情に
は小さく息を吐いた。
「お待たせ致しました。XXX号室、二名様。七海建人様、七海
様。
はい、チェックアウト問題ございません」
「は?」
「はい、何か?」
定型文の挨拶に含まれた不意打ちの情報に動揺から疑問符がこぼれた。
しかし、その疑問を相手に訴えたところで原因主ではないだけに無意味だ。
不思議顔のフロントに
はどうにか表情を取り繕った。
「あ、いや。なんでもない、です・・・」
(「は?なにそれ?そんな名前で予約してないはずなのーー」)
「終わりましたか?」
「っ!」
離れていたはずの人物からの声に肩が跳ねた。
普段は気配には気付くはずが思った以上に動揺していたらしく、
は勢いよく振り返った。
「な!何ですか!?」
(「や、やばい・・・今の聞かれた?というか絶対五条さんの差金」)
「チェックアウトです。終わりましたか?」
「お、終わりましたけど!」
「?どうしたんです?」
「どうもしてません!」
「そうですか、では帰りましょう」
「は、はい!」
終始、上ずった声で応じた
へ怪訝な表情を浮かべた建人だったが、追及は深められることなく颯爽と踵が返される。
それを見送り気付かれないよう小さく息を吐いた
はうるさい鼓動をどうにか宥めつけた。
(「あーもう、名前なんて単なる記号でしょうが。変に意識するな私・・・」)
秘めようと努めてきたはずの意思を容易く揺らしてくる相手に腹立たしい思いを抱きながら、同時に存在する顔をのぞかせる押し込めたい感情に強制的に目を逸
らす。
そして自身の荷物を肩にかけた
は頼もしい背中を追うように足を早めるのだった。
ーー水面下での葛藤
七(「ふむ、悪くない反応ですね。予想外の内心も知れましたし、戻ったら遠慮なく距離を詰める方針に変更ですね」)
(「あー、顔に感情出しすぎでしょ私のバカ・・・戻ったら単騎任務多くしてもらお」)
七「
さん」
「あ、はい」
七「東京に戻ったら食事にでも行きませんか?」
「そう、ですね・・・任務が入ってなければ」
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2024.08.20