ーー表と裏と虚偽と真意とーー
冬。
呪術高専では蜂の巣をつついたような騒ぎが収まり、長い会議を終えた面々がそれぞれのやるべきことに奔走していた。
そんな中、急ぎの用事を持たない呪術師の一人であるは、コーヒーを片手に共有スペースの窓辺に寄りかかっていた。
「大丈夫ですか?」
掛けられた声に肩越しに振り返ってみれば、そこには先程まで同じ会議に出席していた七海建人が立っていた。
「ええ。負傷もありませんし、この通り至って健康優良です」
「そう言う意味ではありません」
「ふふ、ママみんは心配症ですね」
この場で声を掛けられた意味を察しつつも、は軽口で応じ建人の分のコーヒーをテーブルへ置くと再び窓辺へと戻る。
しかし、自身のカップを傾け始めても無反応な相手には首を傾げた。
「あれ?私が滑ったみたいじゃないですか、ちゃんとツッコんでくださいよ」
「・・・重症ですね」
が淹れたコーヒーをやっと手に取った建人は表情を曇らせ深々とため息を吐いた。
それを見せられたの方も、困ったように一つ嘆息する。
「心配症も過ぎると毒ですよ?言った通り、私は問題ありませんよ」
平坦な語調のまま淡々と返すも、建人からはさも不審という視線が刺さる。
相手の反応に気付きつつも、素知らぬ様子ではコーヒーを一度傾けた。
「あー、ついに来たか、って感じで特にショックとかも無いんです。
普段の任務を受ける時と変わりがなさすぎて逆に驚いてるくらいです」
「・・・」
「というか、私こそ七海さんにそっくりお返ししたいところですよ」
「は?」
の反論がお気に召さないらしい建人の眉間が深まる。
同期であれば小さな悲鳴を上げるであろうそれ。
しかし、その程度で気後れするほど場数を踏んできていないは、覗き込むように建人を見つめ続ける。
「だっていつもなら、私がさっきみたいに言ったらこーんなに目を釣り上げるのに、まじトーンで返すんですもん」
「それはあなたにも非がありますよ」
「私のことは先ほどお伝えしたとおりです、別にって感じなんです」
「そうは言いますが・・・」
歯切れ悪く言い淀む建人に対し、は涼しい顔でコーヒーを口に運ぶだけ。
暗い表情が晴れない建人だったが、意を決したように顔を上げた。
「私はあなたがーー」
「七海さん」
普段ならば、建人との会話で話を遮らないが話を遮った。
建人からは見えるのは、髪で隠れたの横顔だけ。
怪訝な表情となる建人には窓から外を眺めながら続ける。
「こんな私でも、七海さんにちょっとだけ自慢できることがあるんです」
「何の話を・・・」
「術師としての歴、そして呪詛師の相手をーー殺してきた数です」
「!」
目を見張る建人に、やっと視線を相手に戻したはカップを持った手で唇の前に指を立てた。
「そんな相手に、おいそれと気遣うなんてことをしたら隠し事を見抜かれてしまいますよ?」
「・・・いつから」
「というか、予想してました。以前は冥さんが監視役に付いてましたし」
残りのコーヒーを飲み干したは、備え付けのサーバーへ歩み寄ると手元のカップに新たなコーヒを注ぐ。
そして建人に背を向けたままは続けた。
「相変わらず馬鹿の一つ覚えみたいに無駄なことしますよね。
下手をすれば呪術界が潰れるかもしれない時だというのに。
ま、今回の騒動で私にこんな嫌がらせしてきた相手が失脚すれば逆に感謝ですけどね」
「この状況で不穏当な発言は感心しませんね」
「それこそ今更です。
私、五条さんほどではありませんけど、ほどほどに目をつけられてますから」
今回もその一つでしょうしね、とまるで他人事のようにケラケラとは笑い返す。
対して、建人の表情は撫然顔のまま。
だから気遣い無用だと暗に伝えたつもりだったが、伝わらなかったらしいその様子に、は話題を変えるように論点をズラした。
「・・・」
「まー、もし上の目論見通りに不穏分子の排除を完了すれば七海さんの上からの信頼は盤石にはなりますね」
「冗談じゃありせん、私は上に信頼されたいなどと思ってはいませんよ」
「七海さんの個人的見解はどうあれ、多少は疑われてますよ?
いつもよりカラスが多い気がしますしねー」
窓の外へ向けはひらひらと手を振る。
言葉通り、外にはカラスがこちらをひたと無味に見下ろしている。
ただの野生のカラスかもしれないが、ソレが違う意味を持つことも二人は知っていた。
の態度についに建人は諦めたのか、クソデカため息を吐くと備え付けのソファーにドカッと腰を下ろし、淹れられたコーヒーを一気に空けた。
「何が狙いだと思いますか?」
「さぁ、そもそも特攻かける人ではありませんからね。奥の手があるのだろうとは思いますけど、それを考えるのは適任者に任せます。
駒は駒なりに、露払いに専念ですよーっと」
「あなたを攫う気では?」
建人の言葉は古来の言い回しである、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をにさせ、当人は吹き出した。
「ぶは!ちょっ!七海さん、こんな時に何を」
「割とあり得る話では?」
「あはは、無いですよ。論外、0%です、価値も意味も無い」
自身のカップを持ったはひとしきり笑い終えると、建人の対角の席へと座った。
「あの人はもっと合理的に攻めてきます。そう言う人だったでしょ?」
「・・・そうですね」
「七海さんこそどう考えているんですか?」
からの静かな視線に応じるように、建人は腕を組みしばし考え込むと口を開いた。
「戦力が二分されるのは向こうも一緒。挑発も重ねてきてあえて戦力を二極化しているのが妙だとは思いました。
よほどの自信があるからか、本来の目的から目を背けさせたかったのか・・・
兎も角として、あの人が言った呪霊1,000体が相手となれば気が抜けません」
「・・・」
「何ですか、その顔は」
的確な分析後に向けられたの形容し難い渋面に、建人は先程の比にならないほど眉間のシワを深くし顔をしかめた。
「いや、まさかあの人が言ったことを本気で間に受けるのかなと」
「は?」
「私は少なくとも倍は控えてるんじゃないかと予想してます」
さらっととんでも数字を口にしたは新しいコーヒーに口を付けた。
それを目の前で聞いてきた建人は反応に一拍遅れた。
「それは、あまりにも・・・」
「馬鹿げてますか?」
「有り得ませんよ」
「あの人は特級ですよ?」
「一人の人間がそんな数の呪霊を操るなど・・・」
「私が閲覧できる限りの記録を見た実績上の話になりますが、過去、呪霊操術で操れた呪霊の数は全て自己申告だそうです」
ただ、今後の状況判断の足しになればいいという気持ちで過去の報告書や人伝に話を聞いていただけだというのに。
まさかこのような状況で功を奏した形になったなんて皮肉なものだ。
だが、歳と共に任務を重ねてしまったからこそ、そして相手のことをある程度知っているからこそ、報告された言動は自身には額面通りに受けることはできなかった。
「呪術師が馬鹿正直に自分の手札をわざわざ上に報告する真面目で律儀な集まりだと思います?」
分かりきった答えだというのに、あえて疑問系にする辺り、やはり心の何処かで否定したい気持ちが隠れているのかもしれない。
諦めの悪い自身に嫌気が差したは、思考を打ち止めるように深々とため息を吐いた。
「はぁ・・・これ以上憶測に憶測を重ねても非生産的ですね。
そのあたりの対策も含めて策を練るだろうと願いましょう。とはいえ、私達の準備は万全以上を期すべきだと思いますけどね」
「それについては同意見ですね」
建人からの首肯が返されたことで、は残りのカップの中身を仰いだ。
次いで、思考で固まったような身体を解すように伸び上がる。
「さーて、監視対象はこれから呪具の補填申請に行きますが、七海さんはどうされます?」
「ご一緒します。それとお詫びに食事にでも行きましょう」
「懐柔作戦ですか?」
「違います」
「んー、なら今日は焼き鳥な気分ですね」
「・・・用事が済んだら向かいましょう」
「やったー!」
自身の本心が悟られずに済んだ幸運を隠すように、タナボタに働いた状況を喜ぶようにしては早速と足を早めた。
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2023.10.15