ーー晴れのち憂いのち晴れーー





















































































































薄い消毒薬が満ちる部屋、呪術高専東京校の医務室では所狭しと並べられた備品棚の前でペンの走る音が響いていた。
走っては止まり、走っては止まりを繰り返す不規則ながらも繰り返されるリズムは、何もしていない側からすれば眠気を誘うようなものだった。
と、そんな静寂を低い声が破った。

「ったく、あいつ手間取ってんのか?」
「何がですかー?」

手元の台帳と棚の薬品を目視でカウントしながら、間延びした声で が訊ねれば不機嫌そうな声が返された。

「私の地酒だよ。今日届くはずなのに、クソ・・・」

チラリと横目で伺えば連勤続きと寝不足で苛々していることが分かる硝子に、記憶にある出張者と地酒を買うだろう相手を察した は、台帳に数字を書き込みながら変わらぬ語調で応じた。

「あー、今回は確か長野の山間部でしたか。田舎なら立地的に遅れても仕方ないんじゃないですか?
銘柄忘れてたとしても、きっと上等品買って来ると思いますよ」
「実は呪霊にやられてたりしてな」

同級生に向けるにはいささか毒と呪いが籠ってますね、とフォローを入れる義理がない相手なので は手元の作業を優先し、硝子の言葉を軽く流すことにした。

「はは、まさか。術師相手ならまだしも、あの人が並の呪霊相手に有り得ないですよ」
「お、そっちなら有り得ると思ってんのか?」
「そりゃ、呪霊と違って策謀策略いくらでも張ってきますから。
一応、五条さんは人間ですから、あの無駄に自信過剰な性格で足元掬われて不意を突かれて負傷する可能性はゼロではないと思いますよ」
「お前も言うようになったな」
「居ない時くらい言わせてください」
「ま、確かにな。一度死にかけたらしい相手も術師だったらしいしな」
「・・・は?」
「ん?」

届いた言葉に初めて手を止めた は不思議顔の硝子に視線も移した。

「死にかけた?」
「あぁ」
「どちらの五条さんがですか?」
「私の知ってるクズはあいつだけだ。つーか、お前が何で知らないんだよ」
「・・・いや、そんな事いつあったんですか?」
「いつって・・・お前、あれだけ大事だったろうが、高専が襲撃受けて後始末に時間食って」
「襲撃?それって私が入学する前の話しだったりします?」

自身が把握している記憶と今聞かされている話がどれも初耳だったことで、食い違っている原因の推測の一つを口にする。
すると、やっと話が繋がったとばかりに納得顔の硝子がソファーに身を沈めた。

「あー、そうか。そりゃ知らないか」
「流石に入学前の事までは・・・」
「お前とは付き合い長くて知ってるものだと思ってたよ」
「確か初夏の時期ですよね?
夜蛾先生からしばらく高専に来るなって連絡いただいていた記憶はあります」
「多分それだ」

連絡を受けたその当時は中学3年生、在学最後の部活の大会を控えた時期だったはずだ。
預けられていた親族への義理立ても大会が終わればお役御免となり、これで大手を振って今後のために全ての時間を費やせると思った矢先の連絡だった気がす る。
理由を聞こうと思ったが、電話口からの彼の重い雰囲気を察して結局、詳細についてはついぞ聞くことはせず今まで忘れていた。

「そう・・・そんなこと、あったんですね」

とはいえ、今まで知らなかった新たな事実。
いつも腹立たしいほどの余裕ぶりしか見たことがないその人が、死の淵を彷徨ったということ。
怪我をしているのは見たことがあるが、それは相手がその人の親友だった場合のみ。
それ以外で血を流す姿など見たことがなかった。

「驚いたな」
「そりゃ、最強を冠する人の新事実を知ったら私だって驚ーー」
「そうじゃなくて」

タバコに火をつけた硝子は、一息吸い込むとゆっくりと紫煙を吐き出した。

「お前、五条に対して伊地知や七海みたいな本気の気遣いなんてしてなかったくせに、私の話し聞いてそういう不安そうな顔見せるとはな」
「・・・」
「だってお前、建前で使ってただろ?『五条は人間』ってセリフ」

相変わらずズバリ、の確信を突いてくる。
はぐらかすことでもなかったが、真意を見抜かれたバツの悪さを誤魔化すように はペン尻で頬を掻きながら硝子に応じた。

「・・・まぁ、少し認識を改めさせられた話しではありましたから」
「私がホントのこと話してるとは限らないのにな」
「硝子さんが意味もなく私に嘘の話しをしないのは知ってますから」
「可愛げある後輩だねぇ」
「ありがとうございます」

その後、追加の仕事が入った硝子が文句を言いながら出ていったことで、代わりに は医務室で待機することとなった。
備品のチェックを終え、特にやることもなくなった は最近新たに入ってきた薬品リストに目を通していると、ノックもなく無遠慮に医務室の扉が開かれた。

ーーガラガラガラッ!ーー
「よ、お疲れちゃーん!最強様のお帰りだよーん。あと僕の信州土産見たい人いるー?」

礼儀知らずの突然の来訪者に は言葉を発することなくジト目を返す。
すると、何の反応も返されなかったことが不服、という様子の悟はズカズカと医務室の中へ入ってきた。

「・・・」
「って硝子、いねーじゃん。人に酒買ってこさせてどこ行ってんの?」
「・・・・・・」
「なになに?僕の顔がそんなにイケメン過ぎるからって見つめすーー」
ーーガシッーー

悟の言葉の続きは突然胸ぐらを捕まれ、ベッドに押し倒されたことにより中断された。
いつもは見下ろしているはずの の顔を悟は見上げる。
普段のやり取りからいきなりそのような行動をしないことを見てきただけに、悟も咄嗟の反応ができない。
そんな固まってしまっている間に、 は悟の脈を取り触診を始めたことでやっと我に返ったように口を開いた。

「え、ちょ、これ何プレイ?」
「・・・」
、せめて何か言わない?怖いんだーーふぶっ!
ーービタッーー

顔を鷲掴みされる勢いにようやく の行動は相手の術式で強制的に阻まれた。
らしくない行動を現在進行形で体験したことで口元が僅かに引きつりそうになるのを、いつもの冷静さを取り繕いながら悟は の肩を掴みどうにか距離を取る。
が、相手からの回答は顔を合わせてから未だに皆無。
しかし尚も障害を排して続けようとする に悟は怪訝そうな声音に変わった。

「・・・・・・」
「なんかの呪いもらってる?」
「何か隠してますよね」
「は?」

唐突な言葉に疑問符しか返せない。
無表情、いや、静かな怒りを見せているような は悟を見下ろしたまま掴まれた肩に置かれた手を外そうとしながら低い声を這わせた。

「血生臭いんでとりあえず邪魔な術式切って下さい」
「右手に物騒な得物持って何言ってんの?」
「ただの裁ち鋏ですよ」
「ナニを裁つ気!?」
「いいからさっさと無限をーー」
ーードサッーー

押し問答を終わらせるように悟は突っ張らせていた腕を逆に引き、両者の位置が入れ替わる。
先ほどの の位置に陣取った悟は、不機嫌さを覗かせた口元で質した。

「だから、何がしたいワケ?」
「隠し事を暴こうかと」
「は?僕が何をーー」
「何考えているんですか、こんなところで」

新たな声に二人の視線は医務室の入口へと移った。
するとそこには米神を波立たせている建人と、笑いを隠しきれないまましかししっかりとスマホを録画状態にしているだろう硝子が立っていた。
ベッドに押し倒された状態のままだったが は自身の状態を気にすることなく呑気に挨拶を返した。

「お疲れ様です、七海さん、硝子さん」
「あれぇ?コレってば誤解招いてる状況だったり?」
「・・・私の術式は対象をーー」
「わー!ばか!七海、ちょっと待て!!」

呪具を手に距離を詰めた建人に押し倒していた側の悟は距離を取る。
だがそれをさせまいとした建人はさらに足を早めたことで、大人のガチ鬼ごっこが開始された。
脱兎の如く医務室から出ていった二人へカメラを向けている硝子は軽い調子で噛み殺しきれない笑いをにじませた。

「んふっ!笑える現場だったな」
「そんなに笑えました?」
「まぁな。で?どうしてあぁなったんだ」
「いや、かなり鉄臭してたので負傷隠してるのかと思って服を剥こうかと」
「負傷?反転使える奴がんな事になると思ってんのか?」
「・・・あ」

硝子の指摘に間の抜けた声が溢れた。
しまった、そうだった。使える人だった。
だから普通の任務で負傷をするはずもなく、負傷かと疑うようなそれはきっと返り血など相手方のものに他ならない。
自分勝手に進んでいた思い違いによる予想外の時間差ダメージに、ベッドから起き上がった は苛まれた羞恥心に顔を覆った。

「なんだ、やっぱり勘違いだったか」
「あー・・・恥ずいですね」
「それはいい歳して鬼ごっこしてるあいつらだろ」

全力疾走しながら勘違いの口論をし合う大の大人2名に硝子はケラケラ笑いながら撮影を続けながら応じる。
深々と嘆息した も校庭へと視線を移し、その様子を眺めながら自分の勘違いと無用の心配だったことに小さく笑うのだった。

「それもそうですね」






















































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2024.08.20