ーーそんな事ないパターンーー


















































































































とある昼下がり。
次の午後の講義まで時間を持て余した深町は、通い慣れたと言える研究室に向かった。
ノックをすれば在席していた准教授・高槻彰良はいつもの大型犬を思わせる満面の笑みで迎え入れた。
次の講義まで時間がある旨の短い雑談を終えると、大量にある蔵書の中から時間潰し用の本を物色しながら、部屋の中央の机で作業を行っている高槻に向け深町は呟いた。

「あの、前々から思ってたんですけど」
「うん?」
「先生っていつも口が上手いですよね」
「・・・深町くん、もう少し言い方があると思うんだけど・・・」
「だって先生に言われたら大抵の女の人は言うこと聞くじゃ無いですか」
「そんな事ないよ」
「少なくとも、オレは『そんな事ない』ってパターンを今まで見たことないですけど」

これまでここの研究室宛、というか高槻宛に依頼があった怪奇現象かもしれない相談事の数々。
他人に相談するにも普通は馬鹿にされるか呆れられる類の、一般には口を閉ざしてばかられるような内容を毎回意図も容易く事情を聞き出す才覚はもはや喝采レベルに近い。
一番それを間近で見てきた深町にとっては、『そんな事』の一言で片付けられようはずもない。
やはり、顔が整っているのは最大の武器らしい、という実績と、自分には無理だろうという悲しい現実に小さくため息をついた。
と、

ーーコンコンッーー
「誰でしょうね?」
「来客の予定は無かったけど」
「ひとまず開けますね」
「うん、そうだね。おねがーー」

そこまで言って作業に戻ろうとした高槻だったが、はっとしたように慌てて制止の声を上げた。

「ダ、ダメだ深町くん!そのドアを開けちゃいけない!」
「は?」
「失礼極まりない発言ですね。来客に向かって」

まるで鈴の音のような、涼やかな声が響いた。
深町が開けたドアからするりと身体を滑り込ませて中に入ってきたのはどうやら女性らしい。
低めのパンプスに八分丈のパンツスーツ、すらりとした体躯に大きめのショルダーバッグを肩に下げ、結い上げられた髪をバレッタでまとめられている。
知的な印象を受ける横顔、身長は深町よりも若干低いだろうか。
ドアの前で固まる深町にふわりと笑いかけると、そのままドアは彼女の手で閉められ視線は呆然と立ち尽くしている高槻に向けられた。

「お久しぶりですね、高槻准教授」
「ひ、久しぶり、だっけ?」
「あらあら。高槻准教授ともあろう方が忘れるはずないですよね?」
「・・・」
「え、と・・・」

どうやら顔見知りらしい。
この短時間のやりとりからでも、過去の依頼人という感じではない。
どちらかというと高槻の幼馴染に近しい感じだが、初対面である深町は目の前で絶賛繰り広げられている舌戦に当然、戸惑いを見せる。
そして、それを察したらしい来客の女性は体ごと深町に向いた。

「君が深町くんですね。どうも初めまして、こっちのわがまま児がいつもお世話になっています」

こっち呼ばわりした高槻を指差すと、終始笑顔の女性は懐から名刺を差し出した。

と申します。これから顔を合わせる機会が増えると思いますが、よろしくね」
「よ、よろしくお願いしまーー」
ーーガシッーー
「こら」

深町を盾に扉から抜け出そうとした高槻の腕を は素早く確保する。
おっとりしていると思った割に無駄のない機敏な動きだったため、深町は素直に驚き目を丸めた。
だがそんな深町の様子を気に留める事なく、 はにっこりとしたまま高槻の腕をあらぬ方向へと倒して自由を奪っていく。

「来客を前に断りも入れずに退室なんて、礼儀知らずにも程がありじゃないかしら」
「あー、その・・・来客用の飲み物を買ってこようかと」
「あら、そんなに私に長居して欲しいなんて殊勝な心掛けだこと」
「あ・・・じ、実は三谷教授と約束が・・・」
「三谷教授がフィールドワークに出てることは、ここに来る前に教務課に確認済みだけど?」
「うっ・・・」
「ほらほら、普段の切れ者である有名准教授様ならもっと気の利いた言い訳並べてみなさいな」
「ちょ、そ、そろそろ痛いから離して欲しいかな」

大人気ない。
入り口前で大の男が女性に腕を捻り上げられ、言い訳が悉く論破されていく。
若干の同情と部外者から見てもあまり褒められる光景ではなくなってきたため、深町は重いため息を吐いた。

「はぁ、先生。諦めて座ってください、ひとまず話を聞きましょうよ」
「深町くん酷い!」
「話の分かる生徒で何より。あ、私はブラックでお願いしますね」

その後、高槻は解放され深町は3人分の飲み物を淹れ終えると、テーブルへと座った。
入り口近くは が陣取り、高槻と深町はいつもの席にという配置だ。
が、

「・・・」
「・・・」

沈黙がかれこれ5分は経った。
だが、一向に会話は始まらない。
同性でも体格に恵まれているはずの准教授の面影は皆無で、対して女性で小柄なはずの相手が異様に大きく見える。
というか、はた目に見ていて蛇に睨まれたカエルってこう言う状況を言うんだろうな、と深町は一人妄想へと逃げた。

「えっと・・・ さん、でしたよね。何か先生に用事があるんですか?」

そろそろ不憫に思えてきた所で、深町が助け舟を出した。
すると、待ってましたとばかりにぱっと表情を明るくした高槻に深町はたしなめるように視線で釘を刺す。
すぐにしゅん、となったまるで叱られ待ちの大型犬を思わせるその様子に、同情心が首をもたげたが心を鬼にし へ用件を促した。
しばらくして、その切り出しにずっと高槻を睨んでいた は一つため息を吐くと柔らかな表情で深町に向いた。

「はぁ、ごめんなさいね、生徒のあなたに気を遣わせる大人共で」
「あ、いや、そんなことは・・・」
「私の用件はね、こっちのーー」

声音は穏やかなまま、表情も深町に向けているが故の柔らかいままながら、米神に青筋が浮かんでいるような が、ビッと親指で深町の隣を指差した。

「何かにつけて理由をでっち上げて一向に経過観察に病院に来ない患者を叱り飛ばしにわざわざ足を運んだってわけ」

一息に告げられた用件に深町は、出合い頭に渡された名刺を改めて見直した。

「え・・・あ! さんてお医者さんだったんですね」
「そうそう。あ、そこの名刺に書いてあるのは大本の所属なんだけど、私、応援で都内の病院飛び回ってるから連絡するなら携帯によろしくね」
「は、はい。もし必要になった・・・」

と脱線した話しが終わったところで思考が止まる。
来訪の用件は納得したが、記憶に新しいその情報は自身が把握しているものと違っていた。
当然、深町も高槻へ問いただす視線へと変わるも、その当人は一気に挙動不審に視線を彷徨わせていた。

「・・・」
「先生、体は問題無いって言ってましたよね」
「・・・」
「先生?」
「・・・ごめんなさい」

まるで罪悪感に打ちのめされた垂れた大きな耳が見えたが、同情心はもう綺麗さっぱり消え失せた。
だが、アウェイ続きの高槻は負けじとばかりに反論を口にする。

「で、でもさ、こうして元気なんだし、問題は無ーー」
「彰良」

一言。
名を告げたたった一言が全てを阻んだ。
先ほどまで優しい表情だったはずの面影はものの見事に消え、代わりに浮かんだのはまるで相手を凍てつかせるような冷え冷えとした目。

「素人判断するなって、散々言ったけどまだ聞き足りないっての?」

静寂の激情。
相反するもののはずが、とうしてか目の前の が纏っているのは正にそうとしか表現できないものだった。
いつもの研究室がいつもの場所と違うような、室内の空気までも凍ってしまったような錯覚を覚え息を呑む深町の隣で、先ほどまで反論を口にしていた高槻は目に見えて肩を落として深々と頭を下げた。

「・・・すみませんでした」
「あんたの条件反射の謝罪は信用してないけど」
「うっ・・・」

高槻の習性を把握している容赦ない切り返し。
深町は思わす拍手を送りたくなった。
と同時に、薄っすらと記憶していた保護者位置に立つ強面の友人からの言葉を思い出した。

(「もしかして、この人が佐々倉さんが言ってたそのうち紹介したい人なのかな。高槻先生をそれなりに首根っこ押さえられるって言ってたけど・・・」)

一人、物思いに沈む深町の隣でまるでこの世の終わりのような落胆を見せた高槻に、問答を切り上げるように嘆息した は自身のカバンから医療器機をテーブルの上へと広げた。

「ひとまず、診察と定期検診分の採血するけど問題ないわよね?」
「え?ここで?流石にちょっと・・・」
「私も忙しいの。そんなに時間はかけないわよ、深町くん」
「は、はい」
「申し訳ないんだけど、この部屋に少しの間だけ人を近付かせないで欲しいから、ちょっと協力してもらえる?」
「勿論です」

深町を廊下で見張りに立たせ、 は右手に手術用の手袋を嵌める。
準備を着々と進める に自身も上着の袖を捲っていた高槻は不服そうに呟いた。

「わざわざ深町くんまで追い出さなくても・・・」
ーーゴンッーー
「痛いっ!」
「そう思うなら病院に来いって散々言ったはずだけど?」

手袋をしていない左拳を握ったまま見下ろした 。その目には普段は見せない苛立ちが見え隠れしていることで高槻は痛む頭を素直に下げた。

「ごめんなさい・・・」
「はいはい、どうせ私の言う事なんて健司くんほどまともに取り合わないでしょうよ。
はい、腕出して」

左手にも手袋を嵌めた は、手早い手際で採血を終える。
そして、前回の打撲痕の触診、その他の身体所見の確認、問診を進めながら持ってきた手帳に書き記していった。

「経過は良好。採血分は検査してみないと分からないけど」
「医者が不安煽るような口ぶりは問題じゃない?」
「私の言葉に危機意識抱くならもっと言ってあげようか?」
「怖い怖い。 ちゃん、顔ヤバいから」
「ヤバくしてる自覚はあるのかしら?」

採血分を専用の器具に入れ、広げた器材をバッグに戻しながら はジト目で高槻を見据える。
疑わしい視線を向けられたことで高槻は安心させるような笑みを返した。

「もうなんとも無いよ、ほらこの通りお陰様で」
「ま、私が診たんだし、当然かな」
「わー、自分で言っちゃうんだ」
「けど今回ばかりは無茶が過ぎたわよね、マジで」

パチンと手袋を外す高い音が響いた。
これまでに見せなかった真剣な表情の の音が低く、廊下に立つ相手には聞こえないだろう声量で続ける。

「親友に心配かけるのだけはいい加減に改めなさい。人間相手なら健司くんも私もある程度なんとかできる。
けど、そうじゃ無い相手にできることなんてほぼ無いに等しい。あんたの中に居るのはこっちの理屈が通じる相手じゃ無い。
丸腰で得体の知れない奴と対峙するのがどんなに危険か、彰良なら分かってるはずでしょ」
「・・・うん」
「まして、生徒を巻き込んでる」

痛いところを正確に突いてくる指摘に高槻はぐっと言葉を飲み込む。
ひた、と見据えた はまるで高槻の奥に潜む相手に挑むような調子で続けた。

「確かに深町くんはあんたと同じ側に立ってて、私達よりあんたに近い境遇であんたのことを理解してるのかも知れない。
けどね、傍目に見てて二人とも迂闊すぎる。
あんたは特に自分の体質を理解した上でリスクベッジした行動を取るべきだっつーの」
「それ、僕だけに言っても・・・」
ーーギューーーッーー
「あんたの方が一回りも歳上で大人だろうが、言わせるな」
「いひゃ!いひゃいはら!」

反論を見せた高槻の両頬をこれでもかと引っ張った は、しばらくして両手を離しもう片手の手袋も外した。

「はい、終わり。服着て」
「うん、ありがとね。ところでさ」
「ん?」
「深町くんのこと、何で知ってるの?」

今度は の動きがピタリと止まる。
だが、小さく嘆息すると帰り支度の作業の手を再開しながら応じた。

「健司くんから、あんたがフィールドワークに同行を許してるって聞いててね」

器材をバッグに仕舞い終えた は脱いだトレンチコートに袖を通しながら続けた。

「彰良くんがそこまで身近に置くってことは、そういう事なんでしょう?」
「・・・」
「ま、今日が初対面だしいきなり根掘り葉掘り聞く気はないけどね。このまま無茶続けるだろうから、嫌でも顔を合わせる機会は増えるし私が知っておいて損はないでしょ」
「む、無茶は・・・」
「本気でしないの?」
「・・・・・・」

自身の言葉に反論ができない高槻を見下ろした はほれ見たことか、とばかりな呆れ顔となる。
そして、バッグを肩にかけると入り口のドア前で立つ深町に向けノックをしドアを開けた。

「お待たせしました深町くん」
「え、まだ10分くらいしか・・・もう終わったんですか?」
「ええ、採血と問診だけなので。じゃ、私はこれから病院に戻るのでこれで失礼しますね」

ふわりと笑い返した は振り返ると、ビシッと高槻に指差しトドメとばかりに釘を差した。

「結果はメールするけど、連絡無視したら次は酷いから」
「わ、分かってます」
「深町くん、あいつで何か困ったことあればいつでも連絡してください。もし出れなくても必ず折り返すので」
「分かりました」
「ちょ、深町くん!?」
「うんうん、素直が一番」




























































ーー再燃
高「うはあぁー、針のむしろだったよ・・・」
深「先生にお医者さんの知り合いが居たんですね」
高「あー・・・知り合いっていうか、 ちゃんは元々は健ちゃんの同級生なんだ」
「え!佐々倉さんの!?」
高「そう、高校の同級生。で、大学に進んでからは向こうは医学部、僕は民俗学部で健ちゃんと一緒に遊ぶようになった繋がりかな」
深「それにしてもお医者さんってあんな感じの人もいるんですね。もっとこう、気難しい感じのイメージ持ってました」
高「うーん、まぁ彼女の場合はオンオフの切り替えが、ね」
深「え・・・瑠衣子先輩みたいな感じですか?」
高「あはは、仕事は凄いんだよ。他の病院から応援がかかるくらいの凄腕だからね」
深「え、凄いじゃないですか」
高「健ちゃんよりも忙しいかもね」
「・・・そんな忙しい人を出向かせたんですか?」
「わわ!もうこの話しお終い!」




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2025.03.29